「北松炭田」の版間の差分

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==概要==
北松炭田地域(旧[[北松浦郡]])における採炭事業の歴史は、[[平戸藩]]時代に遡る。[[明治時代]]に入ってから、近代的設備を整えた[[炭坑]]が相次いで開かれ、[[大正時代]]には産出した石炭の運送を目的とした[[佐世保鉄道]](のち国有化され[[日本国有鉄道|国鉄]]松浦線、現[[松浦鉄道西九州線]]の一部)が建設されるなど、整備が進んだ。

戦後間もない最盛期の[[1955年]](昭和30年)には、操業中の炭坑98ヶ所、年間出炭量336万トン、従業員総数は約1万8千人を数えた。しかし、その後[[エネルギー革命]]の進行に伴う合理化の中で、中小の零細経営が多かったこともあり早期に閉山が急速に進み、[[1962年]]には[[産炭地域振興臨時措置法]]第6条の指定を受けた。その後、[[1973年]](昭和48年)11月の本ヶ浦鉱([[鹿町町]])閉山を最後に、北松炭田地域の石炭採掘の歴史は幕を閉じた。
 
==炭田の存在する地域==