「ヒューゴー・ガーンズバック」の版間の差分

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|birth_name = Hugo Gernsbacher
|birth_date = {{birth_date|df=yes|1884|08|16}}
|birth_place = {{LUX}} [[ルクセンブルク市]], [[ルクセンブルク]]
|death_date = {{death date and age|df=yes|1967|08|19|1884|08|16}}
|death_place = {{USA}} [[ニューヨーク|州]][[ニューヨーク市]], [[|ニューヨーク]]
|nationality = United States{{USA}}
|other_names =
|known_for = アメリカ無線協会の創設
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=== 無線研究家としてのガーンズバック ===
ゲルンスバッハーは[[ブリュッセル]]の全寮制学校を卒業し、ドイツの[[ビンゲン・アム・ライン|ビンゲン]]にある[[:en:Technische Hochschule Bingen|工科大学]]で[[電気工学]]を学んだ。はじめての[[無線]]実験の経験はこの大学でのことだった。そして高性能の新型[[バッテリー]]を発明したゲルンスバッハーは、これを商品化するために1904年2月、アメリカへ移住し、姓をドイツ語読みのゲルンスバッハーから英語読みのガーンズバックに改めた。
 
1904年秋、ガーンズバックは新型バッテリーの売込み中に、欧州では当たり前の電気部品が米国では品薄なことに気付き、ニューヨークにThe Electro Importing Companyを設立して、輸入電気部品の通信販売を手掛けるようになった<ref>新型バッテリーに関するビジネスは1907年に廃業</ref>。1905年、ガーンズバックはドイツ時代の無線実験の経験をもとに、世界初となる一般大衆向け無線電信機「テリムコ」の開発と商品化に成功した<ref name="Hugo1" /><ref name="Hugo2" /><ref name="Hugo3" />。「テリムコ」は今でいうところの短波から超短波帯の[[火花送信機]]と[[コヒーラ検波器|コヒーラ]]受信機が組になった商品で、同年11月に雑誌広告を出し、全米へ通信販売をはじめた<ref>Scientific American誌 1905年11月25日号 p427</ref>。