「ヒューゴー・ガーンズバック」の版間の差分

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1925年にはラジオ局[[エクスペリメンター出版#WRNY|WRNY]]を設立し、マンハッタンのルーズベルト・ホテルの18階から放送していた。1928年にはテレビ放送を行い、世界初のテレビ局の1つとなった。
 
ガーンズバックは資産があったが、事業としてニューヨーク初のテレビ放送の実験を行ったり自分の給料を高くする一方で、作家や商売相手への支払いが遅れていた。1929年に印刷所と紙問屋から訴えられ、『アメージング・ストーリーズ』などを出版していた{{仮リンク|[[エクスペリメンター出版|en|Experimenter Publishing}}]]は破産し、人手に渡った。ガーンズバックはすぐに新しい会社・ガーンズバック出版を設立し、『サイエンス・ワンダー・ストーリーズ』など新しいSF雑誌を3つ、無線雑誌『ラジオクラフト』を立ち上げた<ref>『SF雑誌の歴史』p.80-82</ref>。
 
ガーンズバックは1930年に『サイエンス・ワンダー・ストーリーズ』と『エア・ワンダー・ストーリーズ』を合併させて『[[ワンダー・ストーリーズ]]』を創った。『アメージング・ストーリーズ』同様に、投書欄に誌面を大きく取り、SFファンの活動を発展させた。しかし、後発のSF雑誌『[[アスタウンディング]]』が発展するにつれ、『ワンダー・ストーリーズ』の読者は減少していった。さらに、原稿料の安さや支払いの遅さといった問題があり、作家の[[ドナルド・A・ウォルハイム]]らにより訴えられた。1936年にガーンズバックは『ワンダー・ストーリーズ』を売却し、SFから離れて無線雑誌『ラジオ=クラフト』(後に『[[ラジオ=エレクトロニクス]]』に改題)と、1933年に創刊した性教育に対する科学的取り組みを扱った雑誌『セクソロジスト』の2つに注力していった<ref>『SF雑誌の歴史』p.108-113</ref>。