「秋霜 (駆逐艦)」の版間の差分

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南方軍総司令部は、10月20日を目途にマニラからサイゴンへ移転する予定だった{{Sfn|戦史叢書41巻|1970|p=199|ps=西貢移転の許可}}。この任務に協力するため、第2駆逐隊は[[南西方面艦隊]]の指揮下に入った{{Sfn|戦史叢書56巻|1972|p=64}}。10月12日以降の[[台湾沖航空戦]]における大戦果が速報され、南方軍は祝勝ムードでサイゴン移転準備を進めていたという{{Sfn|戦史叢書41巻|1970|p=236|ps=十 西貢移転準備とボルネオ戦備中、敵中比に来攻/南方軍}}。
10月14日、第2駆逐隊の秋霜と早霜はリンガ泊地を出撃し、[[マニラ]]に向かった<ref>[[#捷号作戦秋霜日誌]] p.64〔 10月14日1600午後四時「マニラ」ニ向ケ昭南発/陸軍第三十一軍司令部「マニラ」「サイゴン」間輸送 〕</ref>(2駆僚艦の清霜はリンガ泊地待機){{Sfn|戦史叢書56巻|1972|p=64}}。
秋霜と早霜は[[10月17日]]午前8時に[[マニラ湾]]口に到着するが、同地が[[第38任務部隊]]([[マーク・ミッチャー]]中将)の艦上機による空襲を受けていたため、命令{{#tag:Ref|第2駆逐隊に対する命令は{{Sfn|戦史叢書56巻|1972|p=64}}、10月17日2000発令の1YB電令作第56号、17日1631発令のGF電令作第467号。|group="注"}}により引き返して[[ブルネイ湾]]に針路を向けた<ref>[[#捷号作戦秋霜日誌]] p.64〔 10月17日 午前八時頃「マニラ」湾外ニ達セルニ敵機ノ「マニラ」地区空襲中ナルニ依リ一時入港ヲ見合セ湾外遊弋中「ブルネイ」回航待機スベシノ命ヲ受ケ午前十時三十分同地発「ブルネイ」ニ向フ 〕</ref>。この日は、アメリカ軍大部隊がレイテ湾口の[[スルアン島]]に来襲した日でもある{{Sfn|戦史叢書41巻|1970|pp=239-240|ps=スルアン島来攻(十七日)}}{{Sfn|戦史叢書81巻|1975|pp=323-324|ps=スルアン島来攻}}。
 
{{Main|レイテ沖海戦}}