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|王朝 = [[後漢]]
|称号・役職 =
|出生 = 201不詳以降
|出身地 = [[河東郡 (中国)|河東郡]]解県(現・[[山西省]][[運城市]][[塩湖区]])
|死去 = [[建安 (漢)|建安]]24年[[12月 (旧暦)|12月]]([[220年]]1月)
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|特記事項 =
}}
'''関 平'''(かん ぺい、[[201年]]以降? - [[220年]])は、[[中国]][[後漢]]末期の武将。[[字]]は不詳。父は[[関羽]]。兄弟は[[関興]]。
 
== 史実の関平 ==
『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』では、220年に関羽の軍勢が[[荊州]]において、[[曹操]]軍の[[曹仁]]・[[孫権]]軍の[[呂蒙]]らの軍と戦った時に随行し、孫権軍に捕縛され関羽と共に首を討たれたことが、「関羽伝」に記載されているのみである。
 
各地を転戦する傭兵団は家族を持つ事が頭領以外は極めて困難であり、その傭兵団たる劉備軍が初めて一所に長く収まったのが荊州時代(201~208)である。関平の記述が殆ど無いのは、樊城攻略が彼の初陣だった為であろう。
 
後述する小説『[[三国志演義]]』では関羽の養子として登場するが、『三国志』ではそういった記述はなく実子であるとされている。