「考証学」の版間の差分

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== 日本との関わり ==
[[日本]]においては、[[江戸時代]]中後期の[[大田錦城]]・[[山井崑崙]]・[[近藤重蔵]]・[[狩谷棭斎]]らが、考証学を受容したり近い手法を取ったりした。([[書誌学#日本]]、[[好古家#日本]] も参照)
 
また、[[山鹿素行]]・[[伊藤仁斎]]・[[荻生徂徠]]らの[[古学|古学派]]は、考証学を受容したわけではないが、考証学と同様に朱子学批判を展開した<ref>{{コトバンク|古学派|小学館日本大百科全書(ニッポニカ)、[[尾藤正英]]}}</ref>。その他、[[吉川幸次郎]]は江戸時代の[[国学]]について、考証学者が扱った「[[経学]]」の日本版のようなものだと説明している<ref>[[吉川幸次郎]]『読書の学』筑摩叢書、1988年、p.291</ref>。