「ジェイムズ・スコット (初代モンマス公爵)」の版間の差分

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オランダ侵略戦争終結後は[[シャフツベリ伯爵]][[アントニー・アシュリー=クーパー (初代シャフツベリ伯爵)|アントニー・アシュリー=クーパー]]ら急進派の[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]と組んでヨーク公爵の王位継承権を剥奪する[[王位排除法案]]の成立を図ったり、人気取りのため[[1679年]]のスコットランド反乱鎮圧やイングランド巡幸を度々行ったりしている。しかし、こうした行動は父の不興を買い1679年に一時オランダへ退去、同年末に帰国したが[[1683年]]の[[ライハウス陰謀事件]]で名前が出たため再びオランダへ亡命した。オランダでは従弟に当たる[[オランダ総督]][[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィレム3世]](後のウィリアム3世)・[[メアリー2世 (イングランド女王)|メアリー]](後のメアリー2世)夫妻からの歓待を受けて生活していた。
 
1685年に父が没してヨーク公爵がジェームズ2世として即位すると、スコットランド貴族の第9代[[アーガイル公爵|アーガイル伯爵]][[アーチボルド・キャンベル (第9代アーガイル伯爵)|アーチボルド・キャンベル]]と共に反乱を起こしジェームズ2世の即位阻止に動くが、アーガイル伯爵は6月に捕らえられ処刑、モンマス公爵も[[7月6日]]の[[セッジムーアの戦い]]で完敗。自ら出頭したモンマス公爵は7月15日に[[タワー・ヒルで[[斬首刑|断頭刑]]にされ[[ジャック・ケッチ]]により[[斬首|断頭刑]]に処された。
 
モンマス公爵の刑死により、モンマス公爵位と彼のバクルー公爵位は没収された。しかし、夫人アン・スコットが自らの権利として保持していたバクルー公爵位とバクルー伯爵家が元来持っていた称号の継続が認められたため、アンの死後に孫の[[フランシス・スコット (第2代バクルー公爵)|フランシス・スコット]]がバクルー公爵位を継ぎ、現在もこの家系は継続している。
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