「赤谷山城」の版間の差分

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これらの城跡の名称と位置関係について、1970年代発行の『[[日本城郭大系]]』では、北西の峰にある城が'''古城'''('''赤谷山城''')であり、南東の峰にある城が'''新城'''('''東殿山城'''、'''犬鳴城'''、'''気良城''')であるとされていた<ref name="taikei" />。
 
しかし、[[八幡町 (岐阜県)|八幡町]](現[[郡上市]])および高田は、南東側の城を'''[[#犬啼山城|犬吠山城]]'''(古城)であるとし、北西側の城を'''赤谷山城'''='''東殿山城'''(新城)であるとしている。そして、「東殿山城」という名称については「東氏の殿様の山城」として江戸時代以降に使われた呼称であるとし、戦国時代当時の名称は「赤谷山城」であったとしている<ref name="best" /><ref name="mono">八幡城ものがたり編集委員会編『八幡城ものがたり』(八幡町、1991年)11頁-25頁・164-165頁</ref> 。
 
このように、赤谷山城と犬吠山城は別の城であるのに、その呼称と城の歴史が混同している向きがあり、現在でも各書籍にもそれが散見される。八幡町教育委員会(現・郡上市八幡町文化財保護協会)は、この混同の最大の原因は犬吠山系赤谷山の中に二つの城が並立し、同じ東氏が築いたことにあるとしている<ref>「犬吠山城」八幡町教育委員会『郡上郡八幡町城址調査報告書』(1995年)30頁</ref>。