「マルクス・アエミリウス・スカウルス」の版間の差分

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===その後===
[[紀元前104年]]、元老院の命令により[[オスティア・アンティカ]]の穀物供給担当[[クァエストル]]であった[[ルキウス・アップレイウス・サトゥルニヌス|サトゥルニヌス]]と交代した<ref>[[シケリアのディオドロス|ディオドロス]]『歴史叢書』36.12</ref>。原因はサトゥルニヌスへの嫌がらせ<ref>キケロ『セスティウス弁護』39</ref>、または彼自身の怠惰と言われている。この年、神祇官の[[グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前122年の執政官)|アヘノバルブス]]が死去したが、そのとき護民官だった[[グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前96年の執政官)|同名の子]]がこれを継ぐことが出来なかった。腹を立てた彼は父の同僚神祇官の一人であるスカウルスを儀式の不備で告発したが無罪となった{{efn|後継神祇官は現職によって選出されていた。アヘノバルブスはこれを[[トリブス民会]]による選出に改革した}}{{Sfn|Broughton Vol.1|loc=p.559}}。
 
またこの年の執政官[[ガイウス・フラウィウス・フィンブリア|フィンブリア]]が任期終了後に告発されたが、スカウルスが弁護して無罪を勝ち取っている{{Sfn|Broughton Vol.1|loc=p.558}}。同じ[[紀元前103年]]には、[[アラウシオの戦い]]で大敗したため護民官[[ガイウス・ノルバヌス]]に国家反逆罪(maiestate)で告発された[[クィントゥス・セルウィリウス・カエピオ (紀元前106年の執政官)|カエピオ]]の弁護も行っているが、この裁判は[[拒否権]]を行使しようとした[[ティトゥス・ディディウス]]ら護民官すら強制排除されるなど暴力的で、スカウルスも石で殴られている<ref>キケロ『弁論家について』2.197</ref>。