「ホイットリー・ストークス」の版間の差分

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1881年ロンドンに戻り、そこを終の棲家とした。1884年、エリザベス・テンプルと再婚。1887年に[[インドの星勲章|インドの星勲爵士]](CSI)、1889年には[[インド帝国勲章|インド帝国勲爵士]](CIE)に叙せられる。また[[英国学士院]](BA)初代正会員、[[オックスフォード大学]][[ジーザス・カレッジ (オックスフォード大学)|ジーザス・カレッジ]]名誉フェロー、[[フランス学士院]]外国人準会員でもあった。
 
ケルト学関連では、ストークスは[[古アイルランド語]]、[[ブルトン語]]、[[コーンウォール語]]で書かれたケルト修道院文学の研究、校訂版編纂や翻訳など幅広い分野に従事。主要な校訂版として『{{仮リンク|マイル・ドゥーンの航海|en|Máel Dúin|label=}}』<!--木村正俊(2017)『ケルト文化事典』、森瀬 繚(2014)『いちばん詳しい「ケルト神話」がわかる事典』--><!--『マイルドゥーンの航海』はベルンハルト・マイヤー(2001)『ケルト事典』での表記??-->{{Refn|group="注"|『メルドゥーンの航海』とも表記される<!--八住利雄 (1981) [1929]--><ref name=yasumi/>。}}、『{{仮リンク|コラの息子たちの航海|en|The Voyage of the Uí Chorra}}』など古アイルランド語で書かれた航海物語、『リズモア書のアイルランド聖人伝』などが知られている。また古アイルランド語文献学関連では『古アイルランド語集成』2巻、『ケルト語辞典編纂用記録』3巻なども刊行した。ケルト学に対するストークスの功績を称え、死後100年にあたる2009年9月18-19日、ケンブリッジ大学で記念会議が開催された。
 
== 主要な編著訳書 ==
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== 出典 ==
;脚注
{{reflist|30em|refs=
<ref name=yasumi>{{citation|和書|editor-last=八住 |editor-first=利雄 |editor-link=八住利雄 |chapter=第1部第2章メルドゥーンの航の彼方の女人国 |title=アイランドの神話と中世騎士物語―「他界」への旅と冒険伝説. 2 |publisher=名著普及会 |date=1995198172251 |prigyear=1929 |url= |pages=31–39 |isbnseries=<!--4121012542, -->978-4121012548世界神話伝説大系41 |seriesasin=中公新書 1254B000J7R0DE}}</ref>
}}
;参考文献