「マリー・フォン・トゥルン・ウント・タクシス」の版間の差分

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| 埋葬地 =
| 配偶者1 = アレクサンダー・フォン・トゥルン・ウント・タクシス
| 子女 = エリッヒ<br>オイゲン<br>{{仮リンク|[[アレッサンドロ・デッラ・トッレ・エ・タッソ|label=アレクサンダー|en|Alessandro, 1st Duke of Castel Duino}}]]
| 家名 = [[ホーエンローエ家|ホーエンローエ=ヴァルデンブルク=シリングスフュルスト家]]
| 父親 = エゴン・カール・ツー・ホーエンローエ=ヴァルデンブルク=シリングスフュルスト
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1909年、ノアイユ伯爵夫人やカスナーの紹介で小説家[[ライナー・マリア・リルケ]]と知り合い、1910年にはリルケをボヘミアの居城ラウチン城に招いて滞在させた。マリーは創作活動に悩むリルケを[[ヴァイマル]]に伴い、見聞旅行をさせるなどして励ました。リルケはその後、マリーが母から相続した[[アドリア海]]沿岸の城{{仮リンク|ドゥイーノ城|en|Duino Castle}}([[トリエステ]]北郊[[ドゥイーノ=アウリジーナ]])に滞在し、この城で新たな創作の霊感を得た。そして完成した長編連作詩『[[ドゥイノの悲歌]]』は、マリーに献呈された<ref name="Lux">Antonius Lux (Hrsg.): ''Große Frauen der Weltgeschichte. Tausend Biographien in Wort und Bild''. Sebastian Lux Verlag, München 1963, S. 467.</ref>。リルケの死後、マリーはこの小説家との交友の思い出を回想録として公表した。
 
マリーの三男{{仮リンク|[[アレッサンドロ・デッラ・トッレ・エ・タッソ|label=アレクサンダー|en|Alessandro, 1st Duke of Castel Duino}}]]は1923年イタリアに帰化し、イタリア王室からカステル・ドゥイーノ公爵位を授けられた。
 
== 著作 ==