「ドゥーマ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m テンプレート修正 |
wikify |
||
1行目:
[[Image:tauride duma.jpg|
{{出典の明記|date=2019年9月}}
▲'''ドゥーマ'''([[ロシア語]]:{{lang|ru|Ду́ма}}、略称:Duma)は、[[ロシア]]における[[議会]]。
[[日本語]]では、特に[[帝政ロシア|帝政期]]の{{仮リンク|ロシア帝国議会|en|State Duma (Russian Empire)|ru|Государственная дума Российской империи|label=国会}}をさす。この他にも、帝政期の市議会もこの名称が用いられた。現在の[[国家院 (ロシア)|ロシア連邦議会下院]]などでも用いられる。
8行目:
== 歴史 ==
[[モスクワ大公]]、後の[[ツァーリ]]に助言する機関として、貴族議会(Boyar Duma)
[[日露戦争]]中の[[ロシア第一革命]]に対する回答として、時の皇帝[[ニコライ2世]]は[[1905年]][[8月6日]]にドゥーマの召集を布告した。彼はこの組織を[[立憲君主国]]の議会とは異なり、諮問機関にすぎないと考えていた。ツァーリはドゥーマに立法機能と視察権を与えたため、ある程度は他国の下院議会と同様の働きを有していた。
20行目:
第四回議会は1912年から1917年まで開催された。ここでも政治的影響力は制限されていたが、1917年に[[2月革命 (1917年)|2月革命]]が勃発すると、議員たちは臨時政府の設立に尽力し、一定の評価が与えられた。[[ボリシェヴィキ]]による[[十月革命|武力蜂起]]により、ドゥーマの活動は終わった。
==
<references/>▼
{| border="1" cellpadding="1" class="wikitable"
|+ 党派別議席数
92 ⟶ 90行目:
|}
== 脚注 ==
▲[[Image:tauride duma.jpg|center|700px|thumb|[[サンクトペテルブルク]]、[[タヴリーダ宮殿]]に置かれた国会議事堂([https://web.archive.org/web/20080309105422/http://www.encspb.ru/image.php?file=big%2F_1215.JPG 現在の画像])]]
▲<references/>
{{Authority control}}
{{DEFAULTSORT:とうま}}
[[Category:廃止されたロシアの議会]]
|