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出自については諸説あり、定かではない<ref name=":0">{{Cite web|title=由比正雪(ゆいしょうせつ)とは|url=https://kotobank.jp/word/%E7%94%B1%E6%AF%94%E6%AD%A3%E9%9B%AA-875401|website=コトバンク|accessdate=2019-06-01}}</ref>。
 
[[江戸幕府]]の公式文書では、駿府宮ケ崎の岡村弥右衛門の子としている。『姓氏』([[丹羽基二]]著、[[樋口清之]]監修)387頁には、[[坂東平氏]][[三浦氏]]の[[庶家]]とある。出身地については駿府宮ケ崎町との説もある。
 
[[河竹黙阿弥]]の[[歌舞伎]]『[[樟紀流花見幕張]]』(慶安太平記)では、慶長10年(1605年)、駿河国由井(現在の静岡県静岡市清水区由比)において[[紺屋]]・吉岡治右衛門の子として生まれたという。治右衛門は尾張国中村生まれの百姓で、同郷である[[豊臣秀吉]]との縁で大坂天満橋へ移り、染物業を営み、[[関ヶ原の戦い]]において[[石田三成]]に徴集され、戦後に由比村に移住して紺屋になる。治右衛門の妻がある日、[[武田信玄]]が転生した子を宿すと予言された霊夢を見て、生まれた子が正雪であるという。