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===石材の島としての北木島===
 
北木島を含む瀬戸内海の島々は良質の[[花崗岩]]を産出している。[[江戸幕府]]が[[豊臣氏]]を滅ぼした後に建造した、[[大阪城]]の[[石垣]]の巨石も[[小豆島]]などから切り出した花崗岩が使われている。この大阪城の建造に際し北木島からも石垣に用いられる石材を搬出したとされる<ref>{{Harvtxt|藤井駿 編|1988|p=827}}</ref>。江戸時代末の[[1863年]]には、[[京都]]を[[鎖国#開国までの動きと鎖国の終焉|異国の侵略]]から守るために建造された「[[西宮砲台|西宮お台場砲台]]」の石材を供出<ref>{{Harvtxt|元気ユニオンin北木 編|1996|p=135}}</ref>。[[1879年]]には[[横浜正金銀行]]の石材を受注<ref>{{Harvtxt|元気ユニオンin北木 編|1996|p=136}}</ref>、[[1896年]]には北木島の石材を使用した[[日本銀行本店]]が竣工し、建築用石材としての[[北木石]]の名が広まる<ref>{{Harvtxt|元気ユニオンin北木 編|1996|p=137}}</ref>。[[1932年]]には[[靖国神社]]の[[鳥居|大鳥居]]と[[石灯籠|大石灯籠]]の石材を積み出した<ref>{{Harvtxt|元気ユニオンin北木 編|1996|p=137}}</ref>。[[第二次世界大戦]]をはさむしばらくの期間、石材産業は一次衰退したが、戦後の[[高度経済成長#日本の高度経済成長期|復興・経済成長期]]には再度著しく発展した。最盛期の[[1957年]]には花崗岩を採掘する丁場の数が127箇所あった<ref>{{Harvtxt|元気ユニオンin北木 編|1996|p=178}}</ref>。
 
その後、中国からの安価な輸入石材に押されて石材の産出量は減少し、最盛期に127あった採石業者は2017年時点で丁場は2社に減っている<ref>[https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00445863 【クローズアップ】かげりゆく地方創生、民間主導で光明も/岡山県笠岡市・衰退した採石場 観光資源に]『[[日刊工業新聞]]』2017年10月9日(中小・ベンチャー・中小政策面)</ref>。