「インバネスクラブ」の版間の差分

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1903年に創立、トレド在住の複数の金持ちが金を出し合って土地を買い、9ホールのコースを建設した。コースはその後18ホールに拡張された。1916年にドナルド・ロスに依頼してチャンピオンシップクラスのコースへの改修が完了したのは1918年だった。ロスは多くのコース設計を手掛けたが、出版されなかった彼の著書『Golf Has Never Failed Me』の中で言及されている7つのコースの一つになっている{{要出典|date=May 2019}}。
 
1920年以前の米国では、プロゴルファーの身分カントリークラブメンバーの[[家庭内労働者|召使]]よりもややマシ」程度にしか見られておらず、クラブハウス内に入ることを禁止されていた。20世紀初めごろよりプロによるゴルフトーナメントが行われるようになってきたが、他コースに所属しトーナメントに参加するプロでも、ホームプロと同様の扱いを受けていた<ref>{{Cite web|url=http://www.usga.org/articles/2011/07/inverness-chime-clock-ticks-on-21474841075.html|title=Inverness Chime Clock Ticks On|publisher=USGA|date=July 26, 2011|first=Dave|author=Shedloski|accessdate=2021-01-23}}</ref>。
 
1920年以前の段階で、変化が始まった。後日「トレドのパブリックゴルフの父」と呼ばれることになるシルバナス・ピエール・ジャーメイン (Sylvanus Pierre Jermain) <ref>[http://www.toledosattic.org/details_item.asp?key=47&did=1 Toledo's Attic] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20070928082620/http://www.toledosattic.org/details_item.asp?key=47&did=1|date=2007-09-28}}</ref>は、1920年にインバネスで開催される予定だった全米オープンに先立ち、[[全米ゴルフ協会]] (USGA) とインバネスのメンバーに対して、出場プレーヤー全員がクラブハウスに入ることを認める交渉を行った。両者ともこれに合意した。このことでインバネスは全米で初めてプロをクラブハウスに迎え入れたゴルフクラブとなった。