「ガイ・フォークス・ナイト」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m ことなった
→‎イギリス国外への影響: 脚注関連項目追加
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
6行目:
 
北米では、ガイフォークスナイトは最初はほとんど注目されていなかったが、1662年11月5日に、ボストンで焚火をして2人の少年が逮捕されたのをきっかけに注目を浴びることとなった。&nbsp;ボストンの一部の市民は1776年に最後のガイフォークスナイトを祝ったが<ref>{{Citation|title=George Washington Expresses Surprise|url=http://display.5thofnovember.us/2007/10/george-washington-tries-to-stop.html|archiveurl=https://www.webcitation.org/5u7Eto6c6?url=http://display.5thofnovember.us/2007/10/george-washington-tries-to-stop.html|journal=display.5thofnovember.us|archivedate=9 November 2010|access-date=9 November 2010}}</ref>、この伝統は1817年まで[[セイラム (マサチューセッツ州)|セーラムで]]継続され<ref>{{Harvnb|Berlant|1991|p=232&nbsp;n.58}}, see also {{Citation|last=Robotti|first1=Frances Diane|title=Chronicles of Old Salem|publisher=Kessinger Publishing, LLC|year=2009}}</ref>、1892年には[[ポーツマス (ニューハンプシャー州)|ニューハンプシャー州ポーツマスで]]も開催された<ref>{{Citation|last=Albee|first1=John|title=Pope Night in Portsmouth, N. H.|journal=The Journal of American Folklore|number=19|volume=5|date=October–December 1892|pages=335–336|publisher=American Folklore Society|jstor=533252|doi=10.2307/533252}}</ref>。18世紀後半には、イギリスの2人の[[イギリスの首相|首相]]、[[ジョン・ステュアート (第3代ビュート伯)|ビュート伯爵]]と[[フレデリック・ノース (第2代ギルフォード伯爵)|ノース卿]]、アメリカの[[ベネディクト・アーノルド|ベネディクトアーノルド]]将軍などの著名人の肖像も焼かれた<ref>{{Harvnb|Fraser|2005|p=353}}</ref>。1880年代には、火薬陰謀事件の失敗を記念するものではなくなったものの、ニューイングランドの沿岸の町ではまだ焚き火が灯されていた<ref>{{Harvnb|Young|1999|pp=24,&nbsp;93–94}}</ref>。
== 脚注 ==
 
{{Reflist|30em}}
 
{{Normdaten}}
== 関連項目 ==
 
*[[ガイ・フォークス・マスク]]
{{DEFAULTSORT:かいふおおくすのひ}}
[[Category:11月の記念日]]