「アドルフ・ヒトラーの死」の版間の差分

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14時30分ごろ、ヒトラーとエーファは執務室の奥にある居間に入っていった{{sfn|Beevor|2002|p=358}}<ref>{{Cite book |和書|title=ヒトラーの死を見とどけた男 地下壕最後の生き残りの証言 |last=ミッシュ |first=ローフス |authorlink=ローフス・ミシュ |coauthors= |translator=小林修 |year=2006 |publisher=草思社 |page=212}}</ref>。「15時30分ごろに大きな銃声を聞いた」と、複数の証人がのちに伝えている。
 
数分待って、ヒトラーの世話護衛係であった[[総統警護隊|総統護衛部隊]]の[[ハインツ・リンゲ]]SS中佐が、ボルマンの立ち合いのもと居間のドアを開けた{{sfn|Linge|2009|p=199}}。すぐに焦げたアーモンドの匂いに気付いたと、リンゲはのちに証言している。これは青酸([[シアン化水素]]水溶液)の一般的な特徴として知られている{{sfn|Linge|2009|p=199}}。ヒトラーの副官の[[オットー・ギュンシェ]]SS少佐が居間に入り、ソファに腰かけた2人の死体を確認した。エーファの死体はヒトラーの左手にあり、膝を胸に抱え込んだ姿勢で、彼から遠ざかるように倒れていた。ヒトラーの死体の状態についてギュンシェは「ぐったりと座っており、右のこめかみからは血が滴っていた。彼は[[ワルサーPPK|ワルサーPPK7.65]]で自らを撃ったのだ」と述べた{{sfn|Linge|2009|p=199}}{{sfn|Fischer|2008|p=47}}{{sfn|Joachimsthaler|1999|pp=160–182}}。今日では、ヒトラーはまずシアン化物([[青酸カリ]])のカプセルを噛み砕き、すぐに右のこめかみをピストルで撃ったものと考えられている{{sfn|クノップ|2004|p=208}}。
 
自殺に使われたピストルはヒトラーの足元に落ちていた{{sfn|Linge|2009|p=199}}。彼の頭から滴った血が、居間の床に血だまりをつくっていた<ref>open2.net (BBC Open University), ''[http://www.open2.net/historyandthearts/history/lecture_transcript.html OU Lecture 2005: Transcript]'', retrieved 11 May 2009</ref><ref>Kinzer, Stephen, "[http://www.nytimes.com/1995/05/04/world/the-day-of-hitler-s-death-even-now-new-glimpses.html The Day of Hitler's Death: Even Now, New Glimpses]", ''New York Times'', 4 May 1995, retrieved 11 May 2009</ref>。総統護衛部隊員の[[ローフス・ミシュ]]SS曹長によれば、ヒトラーの頭部は前方のテーブルの上に横たわっていたという{{Sfn|Rosenberg|2009}}。リンゲの証言では、エーファの死体には外傷が見当たらず、その顔からはシアン化物を用いて服毒自殺したことが見て取れた{{efn|name=Linge 199}}。