「広島カープの歌」の版間の差分

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[[1975年の野球|1975年]](昭和50年)、新[[プロ野球監督|監督]]に就任した[[ジョー・ルーツ]]の提案でチームカラーに[[赤]]を取り入れるなどの球団改革が実施された一環で有志が結成した「カープを優勝させる会」の[[有馬三恵子]]が作詞、[[宮崎尚志]]が作曲を担当した「それ行けカープ」が新球団歌に制定されるが、この際に従来の「広島カープの歌」は歌詞の一部を変更して公式応援歌「'''勝て勝てカープ'''」に改題され[[塩見大治郎]]の歌唱で「それ行けカープ」の[[A面/B面|B面]]に収録された。ルーツはわずか14試合で監督を辞任するが、後任の[[古葉竹識]]率いるカープは前年の最下位から一転して悲願の初優勝を為し遂げ、日本全国に「赤ヘル旋風」を巻き起こした。
 
「勝て勝てカープ」については、上記レコード盤のジャケット裏面の歌詞カードに、「この曲は昭和27年に『カープの歌』として作られたものでありますが、作詩者([[ママ (引用)|原文のまま]]):池田真琴氏の連絡先が判明致しておりませんので、ご存知の方は弊社(CBS・ソニー)までお知らせください。」と初発盤・再発盤ともに記述されていた。
 
== 参考文献・脚注 ==