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元願達(げん がんたつ、481年 - 537年)は、北魏皇族

経歴

北魏の明元帝の後裔にあたる[1]。北魏に仕えて中書令郢州刺史に上った。528年(北魏の建義元年、大通2年)4月、梁軍が北伐して義陽を攻撃すると、願達は郢州を挙げて梁に帰順した。武帝により楽平公[2]に封じられた。そのまま使持節・散騎常侍・都督湘州諸軍事・平南将軍・湘州刺史として出向した。530年中大通2年)、建康に召還されて侍中・太中大夫・翊左将軍となった。537年大同3年)、死去した。享年は57。

子女

  • 元神力(蒲州総管)
  • 元神儼(右衛郎将)
  • 元善微(右領軍将軍)
  • 元神威(杭州刺史)
  • 元律師(左驍衛大将軍)[3]

脚注

  1. ^ 梁書』元願達伝は、願達を北魏の明元帝の孫で、楽平王の子とするが、楽平王拓跋丕444年太平真君5年)に死去しており、願達の生年に合わない。『元和姓纂』は明元帝の子の楽安王拓跋範の子の拓跋良の子の元法益の子を願達とする。
  2. ^ 『梁書』元願達伝による。『南史』梁武帝紀は楽平王とする。
  3. ^ 以上の男子は『元和姓纂』による。

伝記資料

  • 『梁書』巻39 列伝第33