「日本航空123便墜落事故」の版間の差分

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8月12日20時過ぎから、事故調事務局は夏休みで直ぐに出られない二人を除く調査官全員に臨時招集をかけた。夜に開かれた第204回航空事故調査委員会で、本事故の調査官16名を指名した。墜落現場が長野か群馬で錯綜する中、防衛庁から出向の調査官の計らいで[[入間基地]]からヘリコプターで現地に入れるように手配してもらい、どこに調査官を派遣するか図上演習を行ったが「もっと場所がはっきりしてからの方が良い」との結論になり、結局朝まで東京で待機することとなった{{sfn|鶴岡・北村|1991|pp=28–35}}。
 
13日早朝、東京を出発した調査団は8時過ぎ入間基地からヘリコプターで現場上空を確認した後、上野村の上野小学校校庭に着陸し調査活動を開始した。13日15時過ぎ、調査官は収容先の病院で生存者である非番の女性客室乗務員に事情聴取を行った。彼女は「ボーンという音がして急減圧が起き、耳が少し痛くなりました。ドアは飛ばなかったけれど、後ろの天井が落ちました」と供述した。夜に録音を聞いたベテラン調査官の中から圧力隔壁の破損を考え始めた者が出始めたという。13日は昼から[[山下徳夫]]運輸大臣<!-- {{efn|山下大臣は、事故当日、三光汽船が会社更生法の申請をしたことにより、その対応をするためJA8119が123便の直前に運航していた366便に搭乗していた<ref>{{Cite web|title=日航広報部員の御巣鷹:時事ドットコム|url=https://www.jiji.com/jc/v4?id=20120810_jal123_kouhou0001|website=時事ドットコム|accessdate=2021-04-15}}</ref><ref>{{Cite web|title=日航機事故から35年|url=https://www.saga-s.co.jp/articles/-/560143|website=佐賀新聞LiVE|accessdate=2021-04-19|date=2020-08-12}}</ref>。}} -->が視察に来ることになり準備に追われ、往復5時間かかる事故現場に行くことは断念した{{sfn|鶴岡・北村|1991|pp=35&ndash;42}}。
 
=== ブラックボックスの捜索 ===