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皇子自身が行動をおこす2日前、6月22日に、身毛広は[[村国男依]]、[[和珥部君手]]と3人で[[美濃国]]に先行するよう命じられた。彼らの任務は、安八磨評<ref>『日本書紀』には安八磨郡。</ref>(後の[[安八郡]])の[[湯沐令]][[多品治]]に連絡し、まずこの評を挙兵させることであった。彼らは無事にその任を果たし、美濃の兵3千が大海人皇子のために不破道を塞いだ。このおかげで大海人皇子は東国の兵力を集めることができた。
 
その後の広の活躍は不明だが、乱の後、80戸の[[封戸]]を与えられた<ref>『[[続日本紀]]』大宝元年7月21日条</ref>。『日本書紀』は12月4日に勲功ある人を選んで冠位を増し、[[小山]]{{要曖昧さ回避|date=2021年4月}}位以上をあたえたと記すので、広もこれと同じかそれ以上の位を受けたと思われる。
 
その後の身毛広については記録がない。