「大分恵尺」の版間の差分

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=== 功臣のその後 ===
[[日本書紀]]には12月4日に勲功ある人を選んで冠位を増し、[[小山]]{{要曖昧さ回避|date=2021年4月}}位以上をあたえたとする記事があるので、恵尺もこれと同じかそれ以上の位を受けたと思われる。
 
天武天皇4年([[675年]])6月23日に、大分恵尺は病んで死が近くなった。天皇はこれを知って驚き、恵尺の功を語って子孫を厚く賞することを約束する詔を発し、恵尺を外[[小紫]]にした。小紫は高位だが、恵尺が得たのは[[外位]]である。出自の身分が低い恵尺を有力[[貴族]]と同列にすることはできないが、功臣を高く賞したいという考えから、外位になったと考えられる。恵尺は数日後に自宅で死去した。