「千日デパート火災」の版間の差分

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{{Quotation|工事終了後の予定であった北側の機械室から東側部分を今後の工事を確かめるため見て回ったり、店内を徘徊していたところ、火災現場に至って煙草が吸いたくなりパイプに煙草をさして口にくわえ、マッチで火をつけたが、その火の消えていないままのマッチをそのまま、布団の上に捨てたか、どこかでパイプに差した煙草に火をつけ、火災現場でパイプを吹いて火のついている煙草を布団の上に飛ばした{{sfn|室崎|1981|p=60}}。{{sic}}|電気工事監督|危険都市の証言 1981}}
 
大阪地方検察庁は、1972年6月4日夜に勾留中だった工事監督を処分保留により釈放した。工事監督は、火災発生翌日の5月14日から現住建造物重過失失火などの容疑で大阪府警南署に逮捕されて取り調べを受け、その間に送検もされたが、拘留期限満了までに工事監督の供述を裏付ける証拠が得られず、物証の代わりとなる科学鑑定もまとまらなかったために勾留中の起訴ができなかったことによって為された措置である<ref>「サンケイ新聞」1972年6月5日 大阪本社版朝刊10面 </ref>。科学鑑定の一環として大阪府警[[捜査一課]]・南署捜査本部は、1972年6月22日10時から火災現場で工事監督の「タバコかマッチを布団の上に飛ばした(捨てた)」という供述の裏付けを取るため、出火状況を再現する燃焼実験を実施した{{sfn|村上|1986|pp=60,72}}。その結果、工事監督が布団売場の布団の上に火の点いたマッチを捨てたことが火災原因だと断定した{{sfn|村上|1986|pp=60,72}}。しかしながら大阪地方検察庁は1973年8月10日「工事監督の供述には一貫性がなく、起訴するに足る証拠がない」として工事監督を不起訴処分にしている{{sfn|室崎|1981|p=60}}。また防火管理責任者などに対する刑事裁判の判決文においても「工事監督の行動や供述を証拠上確定させることができない」として、公式には'''火災原因は不明'''とされた{{sfn|判例時報|19851988|ppp=31993257}}{{sfn|判例時報岸本|19882002|p=57}}{{sfn|岸本判例時報|20021985|ppp=57319932}}。
 
「工事監督の供述に一貫性がない」とされるが、最初の供述は引用で記したとおり、曖昧で要領を得ず、はっきりしないものであった。「3階でタバコを吹かしながら歩いているうちに、パイプのタバコを吹かしたまま捨てた」と供述し、その後「火の点いたマッチの軸を捨てた」に変わり、そして「自分がマッチで放火した」と言い出した。さらに追及すると「火の点いたタバコを捨てた」「タバコを吸うときに点けたマッチの火が消えているのを確認しないで捨てた」などと言うなど、供述を二転三転させている(第75回国会・衆議院法務委員会政府委員、法務省刑事局長答弁から)<ref name=75kokkaiSY-HMI15/>。工事監督の供述には客観的な状況と合わない部分も見られた。たとえば「火災報知機のボタンを押してすぐに6階へ119番通報のために走った」との供述をしたが、工事監督からの119番通報を大阪市消防局は受信していない{{sfn|室崎|1981|p=61}}。また「6階で119番通報をしたあと、4階へ降りたが、煙に巻かれたので再び6階へ昇り、6階の窓を破ってネオン修理用のタラップに飛び移り、2階へ降りて消防隊に救われた」との証言があるものの{{sfn|室崎|1981|p=33}}、その一方で大阪市消防局の質問調書には「工事人らが避難した後を追って1階へ逃げた」とも答えており{{sfn|室崎|1981|p=61}}、不起訴になった理由は、供述の一貫性のなさに加えて信用性のなさも影響している<ref name=75kokkaiSY-HMI15/>。