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描かれている諸将の配置や場面の構成から成瀬本には[[元和 (日本)|元和]]8年([[1623年]])には刊本が刊行されている[[小瀬甫庵]]『信長記』や同じく元和年間に成立している『甲陽軍鑑』の影響下に描かれている点が指摘されている。成瀬家の言い伝えでは江戸初期の作というが、樹木や人物表情の描写から17世紀の後半[[延宝]]頃と考えられる。
 
[[大坂城|大阪城天守閣]]や[[徳川美術館]]([http://www.tokugawa-art-museum.jp/planning/h21/05/obj09.html 公式サイトに解説])も「長篠合戦図屏風」を所蔵しているが、これらは成瀬家本を写したもので、自然描写から大阪城天守閣本は成瀬家本からさほど下らない時期、徳川美術館本は江戸時代後期に描かれたと推測される。なお、[[名古屋市美術館]]本([http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=96809 文化庁オンラインに解説])は、合戦の情報量が少なく、絵画様式から見て成瀬本より古い17世紀前半元和から[[寛永]]前期頃の制作と見られる。作者は[[大和絵]]系の絵師。元は六曲一双で長篠合戦図を構成していたと考えられ、これを六曲一隻にまとめつつ内容を充実させ、更に左隻に小牧長久手合戦図を加えたのが成瀬本だと推測される<ref>[[和歌山県立博物館]]編集・発行 『戦国合戦図屏風の世界』(1997年10月、p)p.126-127)127。</ref><ref>本項目は、[[桑田忠親]]他編集 『戦国合戦絵屏風集成 第一巻 川中島合戦図 長篠合戦図』を参照、中央公論社、1980年普及版1988年 ISBN 978-4-12-402721-1</ref>。
 
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