「日本サッカーリーグ」の版間の差分

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[[1960年代]]後半から[[1970年代]]前半にかけては、[[1968年メキシコシティーオリンピックのサッカー競技]]での銅メダル獲得もあり注目を集めた。その中でも[[釜本邦茂]]を擁する[[ヤンマーディーゼルサッカー部|ヤンマーディーゼル]]と、[[杉山隆一]]を擁する[[三菱重工業サッカー部|三菱重工]]は実力と人気を二分した。しかしその後の日本代表の成績不振もあり、1970年代中盤以降は観客動員の低迷が続き冬の時代と呼ばれた。
 
[[1980年代]]に入ると[[読売サッカークラブ|読売クラブ]]や[[日産自動車サッカー部|日産自動車]]といったプロ化を視野に入れたチームが台頭し、1986年の[[スペシャル・ライセンス・プレーヤー]]制度の導入以降はこの2チームがタイトルをほぼ独占した。この両者の対戦はサッカーファンの人気を集め、最後のシーズンとなった1991-92シーズンの第21節、1992年3月22日に[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場]]で行われた試合では6万人の観衆を集めた。
 
この背後ではプロ化へ向けての動きが着々と進み、1989年にプロリーグ検討委員会が発足。1991年11月に社団法人[[日本プロサッカーリーグ (法人)|日本プロサッカーリーグ]]が正式に発足すると1992年3月29日の最終節を持ってJSLは廃止され、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)と下部組織の[[ジャパンフットボールリーグ]] (JFL) へ発展解消されることとなった。
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* 観客動員
* 国内サッカーの知名度
* スタジアムの充実。特に関東のチームが主催する試合では[[東京都]]の国営施設・[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場]]・[[国立西が丘サッカー場]]での開催が比較的多かった。また他の関東圏でも[[三ツ沢公園球技場]]など、充実した施設が整備されたのはごく限られていた。
* 日本サッカーのレベルアップ
* 地方チームの充実
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! 順位 !! 観客数 !! 対戦カード !! 開催日 !! 会場
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| 1 || 60,000 || 日産-読売ク || 1992年3月22日 ||rowspan="10"|[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|国立霞ヶ丘]]
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| 2 || 41,000 || ヤマハ-日産 || 1989年2月26日