日本サッカーリーグ

かつての日本のサッカーリーグ

日本サッカーリーグ(にほんサッカーリーグ、Japan Soccer League、略称:日本リーグ、JSL)は、1965年から1992年まで存在した日本サッカーリーグ[1]

日本 サッカーリーグ
加盟国 日本の旗 日本
大陸連盟 アジアサッカー連盟
創立 1965年
開始年 1965年
最終年 1992年
国内大会 天皇杯
リーグカップ JSLカップ
最多優勝クラブ 1部:東洋工業読売クラブ(5回)
2部:読売クラブ、本田技研工業日本鋼管住友金属東芝(2回)

概要

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1965年、日本で初めてとなる全国規模のサッカーリーグとして、実業団8クラブ(オリジナル8)により結成された。日本のサッカーの競技レベル向上を目的とした。

結成当初は日本代表の活躍とともに人気を集めるが、1970年代には早くも実力・人気ともに低下。1980年代になるとプロ化を視野に入れたクラブが台頭し、これを契機にプロリーグへの発展的解消が行われる。1993年からは日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)およびジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へと改組された。最末期には2リーグ28チームまで拡大していた。

歴史

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創設経緯

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JSL発足前の日本のサッカー界は、年に幾度か数週間程度の期間を取ってトーナメント方式の試合を行う程度であり、試合の機会が少なく、かつ、社業に対する影響もあった。この状況に対して、日本代表コーチを務めたデットマール・クラマーの残した「リーグ戦形式にしなければ日本の強化にはならない」との提言がもとになって、サッカーリーグが成立することになった[出典 1]。当初の中核メンバーは、西村章一重松良典を中心に設立委員会を作り[出典 2]長沼健岡野俊一郎平木隆三が後に加わり[出典 3]、創設された[出典 4]。発足後の1966年、長沼はサッカー協会機関誌の座談会で、JSL発足の目的を、

  • 会社員として仕事を守りながら、高い技術のスポーツを続けていけること
  • サッカーの普及に役立つこと
  • 第一線選手に日常トレーニングの目標を与え、激しい試合経験を積ませることで、国際試合への準備をすること

の三つの柱として挙げた[13]

リーグの規模は、クラマーの提案は、ドイツの北部・南部・西部3リーグ制の地域リーグであるレギオナルリーガに類するものを想定していたが、長沼たちは、新幹線在来線を乗り継げば「全国リーグ」が出来ると反撥して、全国1区のリーグ構成を選択[出典 5]。参加チームは、社会人クラブでの強豪であった東洋工業八幡製鐵古河電工三菱重工日立の5チームがまずは決まり[7]、更にヤンマー豊田織機名相銀の3チームが加わり、計8チームが初期メンバーになった[出典 6]。当初は大学チームも参加させる方針で、早稲田大学を誘ったが[7]、大学リーグの日程との調整が難しいと参加が見送られた[11]。将来の大学チームの参加を見越して、リーグ名には「実業団」を入れず、「日本サッカーリーグ」という名称にした[出典 7]。アマチュア競技で全国レベルのリーグ戦を行うのは、日本ではサッカーが初めてであった。

第1回大会1965年6月6日に開幕。初年度はアマスポーツ界初となる全国リーグで関心も高く[4]、1試合平均観客数は2,382人と、関係者以外には関心を持たれなかったそれ以前に比べれば驚異的な動員といえた[4]。初代王者は東洋工業が輝いた。メンバーの大半を本拠地広島出身者で固めた東洋工業は、結束力が強く、練習環境にも恵まれ他チームを圧倒[出典 8]第4回大会まで四連覇[出典 9]第6回と合わせて5度優勝する、初期の強豪クラブであった[出典 10]

また、1960年代後半から1970年代前半にかけては、全日本(以降、日本代表)のメキシコ五輪での銅メダル獲得もあり注目を集めた。メキシコ五輪のあった1968年シーズンは1試合の平均観客は7491人にのぼり[17]、その中でも釜本邦茂を擁するヤンマーディーゼルと、杉山隆一を擁する三菱重工は実力と人気を二分した。

サッカー冬の時代

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しかし70年代に入ると、日本サッカーは実力、人気ともに低下し、「冬の時代」と呼ばれる不振期に突入する、上述のメキシコ五輪に日本代表の活躍でサッカーブームは到来したが[出典 11]、日本ファンの観戦対象は『ダイヤモンド・サッカー』に代表されるテレビで放映されるヨーロッパクラブの試合や[18]1978年アルゼンチン大会からNHK中継が始まったワールドカップなどの国外チームの試合であった[19]。日本で行われる試合で客が入るのは国外チームとの親善試合であった。その親善試合でも実力の差は歴然としていて、例えば1975年3月、スウェーデン代表を迎えた親善試合では、スウェーデン代表が若手中心のメンバーであったにもかかわらず、[出典 12]、日本代表は3連敗を喫した。3試合で唯一日本代表が得点を挙げたのは森孝慈釜本邦茂のコンビによる1点だけであり[18]、当時の日本選手で海外チームと対等に戦えるのはこの二人だけであった[18]

1974年にはJSLの会計が赤字に転落し[18]、サッカー専用球技場の建設のための積立金を取り崩して補填に宛てる自転車操業状態になった[18]1977年のシーズンは1試合の平均観客は史上最低の1733人を記録する[17]。入場料収入は無いに等しく、テレビ放映の機会も年に2、3回程度でしかなかったことから[21]、JSLの運営資金はほとんど全て加盟チームの分担金によって賄われていた[21]

1976年に日本サッカー協会専務理事に就任、実質的に日本サッカー界の舵取り役を担う立場になった長沼健[出典 13]、不振に陥ったサッカー界の改革の乗り出す。長沼は、不振の最大の原因は、サッカーのピラミッドが日本にできていないからだと考え[19]、底辺の拡大と分厚い日本代表チームの構成を目指した[出典 14]中体連から猛反発を受けたが、個人登録制度を導入するなどで資金を集め[出典 15]、コーチング・スクールの開校などに時間と金を投入し、代表チームをそれまで派遣していなかったアジア大会や各種ユース大会に派遣させ[18]、各地で小・中学生のサッカースクールが開校されるようになり、底辺拡大の芽を育てた[出典 16]

プロ化の進展・Jリーグへの改組

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1985年ワールドカップアジア予選で日本代表がプロ化を先んじていた韓国に完敗を喫したことで、日本のサッカー界でもプロ化への動きがようやく具体化し始めた[出典 17]

この頃、読売クラブ日産自動車といったプロ化を視野に入れたクラブが台頭しており[26]、1986年のスペシャル・ライセンス・プレーヤー[出典 18]制度が導入される。この制度導入の背景には、ヴェルダー・ブレーメン西ドイツブンデスリーガ所属)から契約延長を要請されていた奥寺康彦が、「選手として衰えていないうちに」日本のサッカー界の為に己の全てを捧げたい、として古巣古河に復帰を希望していたこともあった。他にも、全日空横浜サッカークラブ・ボイコット事件が影響していると言われている。

制度の導入によって勢いに乗った読売、日産両クラブが、以降はタイトルをほぼ独占し、サッカーファンの人気を集める。JSL解散直前の1991-92シーズンの第21節、1992年3月22日に国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で行われた両チームの試合では6万人の観衆を集めた。しかし、同シーズン開始時には前述の各チーム(古河は翌々年のJリーグ開幕に向け1991年6月11日東日本JR古河サッカークラブに名称変更して、この時点で既に現役を退いていた奥寺が初代GMに就任した)も全選手をノン・アマチュアとして登録するなど、1部所属チームではマツダに数名のアマチュア登録選手がいた以外はすべてノン・アマチュア登録選手であった。また2部でも16チーム中6チームがすべての選手をノン・アマチュア登録した(ちなみに読売ジュニオール所属選手は外国籍選手を除きすべてアマチュア登録で、トップチームである読売クラブとは差別化がはかられている)。

1988年に森健兒日本リーグ総務主事が「活性化委員会」を設置[出典 19]。以降、1989年に「プロリーグ検討委員会」[25]、1991年「プロリーグ設立準備室」を経て[25]、1991年11月に社団法人日本プロサッカーリーグが正式に発足すると1992年3月29日の最終節を持ってJSLは廃止され[25]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)と下部組織のジャパンフットボールリーグ (旧JFL) とへ発展解消されることとなった[25]

特徴・評価

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全国リーグの先駆け

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JSLは、クラブスポーツに先んじて、全国規模の恒常的なリーグ戦を開催する事例となった。このシステムはのちにバレーボールバスケットボールラグビーアイスホッケーなどが踏襲することとなる[出典 20]

施設面の充実

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地方のクラブを筆頭に、当初からある程度の練習施設を確保しているクラブは少なくなかった。特に工場内に練習場を確保していた東洋工業(マツダ)が1965年から68年にかけて4連覇を達成すると、他クラブもこれにならって練習施設の充実を図るようになった。首都圏では土地の確保などが難しかったものの、多くのクラブが自前の練習場やクラブハウス、夜間照明なども確保するようになった。Jリーグクラブの中にはこれらの施設を現在でも使用しているところがある。

アマチュア主義と形骸化、プロ化への道

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当初は社業に影響がないように純粋なアマチュア主義の確立を目指していたが、後にこれは形骸化し、サッカーの練習が社業に優先するようになったり、サッカーをしていても賃金に影響しないようにすることが当たり前になってきた。このような体制を企業アマといい、サッカーに関わらず日本のスポーツ界では広く見られた。旧共産圏や東欧で見られた「ステート・アマ」の企業版であるが、企業アマは日本独自のものである。

さらに企業アマが進んで、試合の結果に対して選手に報酬を渡すクラブが出てきた。特に読売クラブの選手は「社業」といえるものを持っておらず、彼らがサッカーを職業とし、その対価として給与をもらっているという事は公然の秘密であった。JFAではこれを追認する形で1985年からスペシャル・ライセンス・プレーヤーという、事実上プロ選手としての登録を認めた[出典 21]。「プロ」という呼称を使っていないのは、その方が日本体育協会としても認めやすいという日本テニス協会の先例があったためである(テニス協会ではこれ以前に選手のプロ登録を認めていた)。これによって、当初JSLが目指した「アマチュアによるリーグ」は全く形骸化してしまった。

こうして選手の実質的な「プロ化」は進んだが、実力・運営ともにアマチュアレベルで、当時のラグビーなどと比べても人気も高いとはいえなかった。またいくつかの問題がアマチュアレベルでは解決できないとして、プロリーグへの待望論が生まれてくる。プロリーグ構想は「読売」や「日産」「全日空」「ヤマハ」といった後発クラブの方が積極的であり、「古河」「三菱」「日立」といったクラブは消極的であった。しかし、後発クラブに「古河」「三菱」からのスタッフを加えたプロジェクトチームがプロリーグ構想を推し進め、1991年日本プロサッカーリーグの構想が発表され、1993年にJリーグが開幕した。Jリーグの発足を受け、1992年をもってJSLは終了した。

JSLでは解決されなかった問題

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  • 観客動員
  • 国内サッカーの知名度
  • スタジアムの充実。特に関東のクラブが主催する試合では東京都の国営施設・国立霞ヶ丘競技場陸上競技場国立西が丘サッカー場での開催が比較的多かった。また他の関東圏でも三ツ沢公園球技場など、充実した施設が整備されたのはごく限られていた。
  • 日本サッカーのレベルアップ
  • 地方クラブの充実
  • 企業の業績に左右される体質
  • 現役を引退した選手のその後の職の確保(コーチ業、解説者等)
  • 下部組織の充実

JSLに参加したクラブ

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地域 クラブ名 ホームタウン 創設 参入 1部在籍 1部優勝 2部在籍 2部優勝 変遷 後継クラブ
東北 TDK 秋田県由利郡仁賀保町 1965年 1985 0 - 2 -   ブラウブリッツ秋田
関東 住友金属 大阪府(1947-1974年)
茨城県鹿島郡鹿島町(1975年-)
1947年 1974 3 - 15 2回   鹿島アントラーズ
茨城日立 茨城県日立市 1923年 1974 0 - 1 -    
NTT関東 埼玉県 1969年 1987 0 - 5 -   大宮アルディージャ
埼玉教員 埼玉県 1953年 1982 0 - 2 -    
日立製作所 東京都小平市(1940-1985年)
千葉県柏市(1986年-)
1940年 1965 24 1回 3 1回 日立本社→日立製作所 柏レイソル
古河電工千葉 千葉県市原市 1967年 1976 0 - 2 -   VONDS市原[注釈 1]
三菱重工 兵庫県神戸市(1950-1957年)
東京都(1958年-)
1950年 1965 26 4回 1 1回 三菱重工→三菱自動車 浦和レッズ
読売クラブ 東京都 1969年 1972 14 5回 6 2回   東京ヴェルディ
読売ジュニオール 東京都 1979年 1990/91 0 - 2 -    
東京ガス 東京都 1935年 1991/92 0 - 1 -   FC東京
古河電工 神奈川県横浜市 1946年 1965 27 2回 0 - 古河電工→JR古河 ジェフユナイテッド千葉
日産自動車 神奈川県横浜市 1972年 1977 12 2回 3 -   横浜F・マリノス
全日空クラブ 神奈川県横浜市 1964年 1984 5 - 3 1回 全日空横浜→全日空クラブ 横浜フリューゲルス
日本鋼管 神奈川県川崎市 1932年 1967 21 - 4 2回 日本鋼管→NKK  
富士通 神奈川県川崎市 1955年 1972 2 - 18 1回   川崎フロンターレ
東芝 神奈川県川崎市 1935年 1978 3 - 11 2回 東芝堀川町→東芝 北海道コンサドーレ札幌
フジタ工業 栃木県(1968-1974年)
東京都、神奈川県平塚市(1975年-)
1968年 1972 18 3回 2 1回 藤和不動産→フジタ 湘南ベルマーレ
東邦チタニウム 神奈川県茅ヶ崎市 1955年 1983 0 - 7 -    
甲府クラブ 山梨県甲府市 1965年 1972 0 - 20 -   ヴァンフォーレ甲府
東海 ヤマハ発動機 静岡県磐田市 1972年 1979 11 1回 2 1回   ジュビロ磐田
本田技研工業 静岡県浜松市 1971年 1975 11 - 6 2回    
日本軽金属 静岡県清水市 1948年 1972 0 - 2 - 日本軽金属→羽衣クラブ  
藤枝市役所 静岡県藤枝市 1959年 1988/89 0 - 1 -    
中央防犯 静岡県藤枝市 1982年 1991/92 0 - 1 -   アビスパ福岡
トヨタ自動車 愛知県、静岡県裾野市 1939年 1972 8 - 12 1回 トヨタ自工→トヨタ自動車 名古屋グランパス
豊田自動織機 愛知県刈谷市 1946年 1965 3 - 2 -    
名古屋相互銀行 愛知県 不明 1965 6 - 0 -    
名古屋クラブ 愛知県名古屋市 1950年 1981 0 - 1 -    
西濃運輸 岐阜県 1974年 1985 0 - 3 -    
コスモ石油 三重県四日市市 不明 1980 0 - 7 - 大協石油→コスモ石油  
関西 京都紫光クラブ 京都府京都市 1922年 1972 0 - 10 -   京都サンガ
京都府警 京都府京都市 不明 1985 0 - 2 -    
NTT関西 京都府 不明 1972 0 - 7 - 電電近畿→NTT関西  
松下電器 大阪府 1980年 1984 5 - 3 1回   ガンバ大阪
大日日本電線 大阪府 不明 1972 0 - 4 -    
田辺製薬 大阪府大阪市 1927年 1972 1 - 19 1回    
大阪ガス 大阪府大阪市 1946年 1985 0 - 6 -    
ヤンマー 兵庫県、大阪府、滋賀県 1957年 1965 26 4回 1 -   セレッソ大阪
ヤンマークラブ 兵庫県 1972年 1976 0 - 4 -    
中国 川崎製鉄 岡山県倉敷市、岡山市 1966年 1986 0 - 6 - 川崎製鉄水島→川崎製鉄 ヴィッセル神戸
東洋工業 広島県広島市、安芸郡府中町 1938年 1965 22 5回 5 - 東洋工業→マツダ サンフレッチェ広島
マツダオート広島 広島県広島市 不明 1987 0 - 2 -    
永大産業 山口県熊毛郡平生町 1972年 1973 3 - 1 1回 永大産業→永大  
四国 大塚製薬 徳島県 1955年 1990/91 0 - 2 -   徳島ヴォルティス
帝人 愛媛県松山市 1960年 1973 0 - 12 - 帝人松山→帝人  
九州 新日本製鐵 福岡県北九州市 1950年 1965 17 - 9 - 八幡製鉄→新日本製鐵  
  • 太字は初年度シーズンに参加したチーム(オリジナル8
  •   は現在Jリーグのクラブ
  •   は現在活動していないクラブ

JSL1部

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成績

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シーズン クラブ数 優勝クラブ 準優勝クラブ JSL1部からの降格クラブ JSL1部への昇格クラブ 総観客動員数 総得点数
1 1965 8 東洋工業 八幡製鉄 133,400 216
2 1966 東洋工業 八幡製鉄 名古屋相互銀行 日本鋼管 201,700 183
3 1967 東洋工業 古河電工 豊田自動織機 名古屋相互銀行 322,550 225
4 1968 東洋工業 ヤンマー 419,500 185
5 1969 三菱重工 東洋工業 328,150 176
6 1970 東洋工業 三菱重工 301,800 179
7 1971 ヤンマー 三菱重工 名古屋相互銀行 藤和不動産 308,700 172
8 1972 日立製作所 ヤンマー トヨタ自工
田辺製薬
281,500 177
9 1973 10 三菱重工 日立製作所 田辺製薬 永大産業 260,800 264
10 1974 ヤンマー 三菱重工 299,600 262
11 1975 ヤンマー 三菱重工 268,200 268
12 1976 古河電工 三菱重工 永大(脱退) 富士通 232,400 238
13 1977 フジタ工業 三菱重工 トヨタ自工 読売クラブ 159,650 315
14 1978 三菱重工 ヤンマー 富士通 日産自動車 191,900 245
15 1979 フジタ工業 読売クラブ 日本鋼管 ヤマハ発動機 200,630 248
16 1980 ヤンマー フジタ工業 日産自動車 本田技研工業 196,630 263
17 1981 フジタ工業 読売クラブ 新日本製鐵
ヤマハ発動機
日本鋼管
日産自動車
163,080 214
18 1982 三菱重工 ヤンマー 日本鋼管 ヤマハ発動機 194,150 214
19 1983 読売クラブ 日産自動車 マツダ 日本鋼管 248,870 193
20 1984 読売クラブ 日産自動車 住友金属
全日空横浜
327,700 252
21 1985 12 古河電工 日本鋼管 住友金属
全日空横浜
松下電器
マツダ
481,450 323
22 1986/87 読売クラブ 日本鋼管 松下電器
日立製作所
住友金属
トヨタ自動車
731,950 278
23 1987/88 ヤマハ発動機 日本鋼管 マツダ
トヨタ自動車
全日空横浜
松下電器
640,300 238
24 1988/89 日産自動車 全日空クラブ 住友金属
三菱重工
東芝
日立製作所
664,800 292
25 1989/90 日産自動車 読売クラブ フジタ工業
日立製作所
三菱重工
トヨタ自動車
540,000 305
26 1990/91 読売クラブ 日産自動車 ヤンマー
NKK
日立製作所
マツダ
754,300 287
27 1991/92 読売クラブ 日産自動車 885,400 318
  • 降格チームは次のシーズンからJSL2部(JSL2部設立以前は各地域リーグ)へ参加
  • 昇格チームは次のシーズンからJSL1部へ参加
  • 第1回から第8回までは下位2チームが全国社会人大会上位2チームと入れ替え戦を行なう
  • 第9回はチーム数増加のため降格なし
  • 第10回から第15回までは下位2チームがJSL2部上位2チームと入れ替え戦を行なう
  • 第16回から第19回までは最下位のチームが自動降格、9位のチームがJSL2部の2位と入れ替え戦を行なう
  • 第20回はチーム数増加のため降格なし
  • 第21回以降は下位2チームが自動降格
  • 第21回から従来の春秋シーズンから秋春シーズンへ移行
  • 第22回から大会名称のシーズン表記を「開幕年-閉幕年」へ変更

クラブ別優勝回数

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クラブ名 回数 優勝シーズン
東洋工業 5 1965, 1966, 1967, 1968, 1970
読売クラブ 1983, 1984, 1986/87, 1990/91, 1991/92
三菱重工 4 1969, 1973, 1978, 1982
ヤンマー 1971, 1974, 1975, 1980
フジタ工業 3 1977, 1979, 1981
古河電工 2 1976, 1985
日産自動車 1988/89, 1989/90
日立製作所 1 1972
ヤマハ発動機 1987/88

クラブ別通算成績

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クラブ名 創設 初出場 最終 勝点 P勝 P敗 優勝 最高 最低 変遷 後継クラブ
1 三菱重工 1950年 1965 1991/92 26 750 460 211 10 102 5 132 682 507 175 4回 1位 12位 三菱重工→
三菱自動車
浦和レッズ
2 古河電工 1946年 1965 1991/92 27 731 482 203 8 111 3 157 705 596 109 2回 1位 10位 古河電工→
JR古河
ジェフユナイテッド千葉
3 ヤンマー 1957年 1965 1990/91 26 703 460 195 5 108 5 147 679 570 109 4回 1位 11位 セレッソ大阪
4 日立製作所 1940年 1965 1991/92 24 543 416 151 10 76 4 175 581 608 -27 1回 1位 12位 日立本社→
日立製作所
柏レイソル
4 東洋工業 1938年 1965 1991/92 22 543 376 149 9 80 7 131 526 424 102 5回 1位 11位 東洋工業→
マツダ
サンフレッチェ広島
6 フジタ工業 1968年 1972 1989/90 18 520 340 144 5 74 9 108 495 372 123 3回 1位 11位 藤和不動産→
フジタ
湘南ベルマーレ
7 読売クラブ 1969年 1978 1991/92 14 503 280 144 1 65 5 65 481 286 195 5回 1位 9位 東京ヴェルディ
8 日本鋼管 1932年 1967 1990/91 21 396 378 98 4 90 8 178 404 601 -197 - 2位 12位 日本鋼管→
NKK
9 新日本製鐵 1950年 1965 1981 17 385 274 110 6 40 9 109 433 406 27 - 2位 9位 八幡製鉄→
新日本製鐵
10 日産自動車 1972年 1979 1991/92 12 384 244 109 2 54 1 78 315 284 31 2回 1位 10位 横浜F・マリノス
11 ヤマハ発動機 1972年 1980 1991/92 11 322 226 86 0 64 0 76 255 249 6 1回 1位 10位 ジュビロ磐田
12 本田技研工業 1971年 1981 1991/92 11 289 226 72 0 73 0 81 251 267 -16 - 3位 10位
13 全日空クラブ 1964年 1985 1991/92 5 139 110 38 0 25 0 47 131 145 -14 - 2位 12位 全日空横浜→
全日空クラブ
横浜フリューゲルス
14 松下電器 1980年 1986/87 1991/92 5 128 110 31 0 35 0 44 122 152 -30 - 5位 11位 ガンバ大阪
15 トヨタ自動車 1939年 1973 1991/92 8 105 156 24 0 33 0 99 128 363 -235 - 5位 12位 トヨタ自工→
トヨタ自動車
名古屋グランパス
16 東芝 1935年 1989/90 1991/92 3 82 66 19 0 25 0 22 72 76 -4 - 4位 9位 東芝堀川町→
東芝
北海道コンサドーレ札幌
17 永大産業 1972年 1974 1976 3 69 54 19 0 12 0 23 67 83 -16 - 5位 9位 永大産業→
永大
18 住友金属 1947年 1985 1988/89 3 60 66 15 0 15 0 36 50 101 -51 - 10位 11位 鹿島アントラーズ
19 名古屋相互銀行 不明 1965 1971 6 38 84 9 0 11 0 64 76 210 -134 - 6位 8位
20 富士通 1955年 1977 1978 2 28 36 6 3 0 7 20 32 67 -35 - 9位 9位 川崎フロンターレ
21 豊田自動織機 1946年 1965 1967 3 20 42 4 0 8 0 30 38 112 -74 - 6位 8位
22 田辺製薬 1927年 1973 1973 1 4 18 1 0 1 0 16 7 51 -44 - 10位 10位
  •   は現在Jリーグのクラブ
  •   は現在活動していないクラブ
  • 勝ち点は、以下のルールで算出(勝利=3、PK勝/引分/PK敗=1、敗戦=0)
  • 1977-1979の3シーズンは、90分を終えて同点の場合はPK戦を実施
  • 地域リーグとの入替戦(1965-1971、全国社会人サッカー選手権大会の上位クラブとの試合)、JSL2部との入替戦(1973-1983)はカウントしていない

個人賞

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シーズン 得点王 ゴールデンボール賞 アシスト王 シルバーボール賞
1 1965   野村六彦(日立)
15得点
アシスト制度なし
2 1966   小城得達(東洋)
14得点
  桑田隆幸(東洋)
8アシスト
3 1967   木村武夫(古河)
15得点
  川淵三郎(古河)
9アシスト
4 1968   釜本邦茂(ヤンマー)
14得点
  杉山隆一(三菱)
8アシスト
5 1969   落合弘(三菱)
12得点
  杉山隆一(三菱)
11アシスト
6 1970   釜本邦茂(ヤンマー)
16得点
  宮本輝紀(新日鐵)
8アシスト
7 1971   釜本邦茂(ヤンマー)
11得点
  杉山隆一(三菱)
10アシスト
8 1972   松永章(日立)
12得点
  吉村大志郎(ヤンマー)
8アシスト
9 1973   松永章(日立)
11得点
  釜本邦茂(ヤンマー)
  田辺暁男(古河・アシスト王のみ)
9アシスト
10 1974   釜本邦茂(ヤンマー)
21得点
  高田一美(三菱)
  ジョージ小林(ヤンマー・アシスト王のみ)
7アシスト
11 1975   釜本邦茂(ヤンマー)
17得点
  釜本邦茂(ヤンマー)
  平沢周策(日立・アシスト王のみ)
  今村博治(ヤンマー・アシスト王のみ)
6アシスト
12 1976   釜本邦茂(ヤンマー)
15得点
  永井良和(古河)
8アシスト
13 1977   カルバリオ(フジタ)
23得点
  永井良和(古河)
  セイハン比嘉(フジタ・アシスト王のみ)
  安原真一(東洋・アシスト王のみ)
  古前田充(フジタ・アシスト王のみ)
7アシスト
14 1978   カルバリオ(フジタ)
  釜本邦茂(ヤンマー・得点王のみ)
15得点
  ジャイロ(読売ク)
9アシスト
15 1979   ラモス(読売ク)
14得点
  ラモス(読売ク)
  ジョージ与那城(読売ク・アシスト王のみ)
  釜本邦茂(ヤンマー・アシスト王のみ)
7アシスト
16 1980   碓井博行(日立)
14得点
  ジョージ与那城(読売ク)
9アシスト
17 1981   吉田弘(古河)
14得点
  永井良和(古河)
  楚輪博(ヤンマー・アシスト王のみ)
9アシスト
18 1982   碓井博行(日立)
13得点
  尾崎加寿夫(三菱)
  鬼塚忠久(古河・アシスト王のみ)
8アシスト
19 1983   ラモス(読売ク)
10得点
  ジョージ与那城(読売ク)
10アシスト
20 1984   戸塚哲也(読売ク)
14得点
  木村和司(日産)
12アシスト
21 1985   吉田弘(古河)
16得点
  浅岡朝泰(鋼管)
11アシスト
22 1986/87   松浦敏夫(鋼管)
17得点
  水沼貴史(日産)
17アシスト
23 1987/88   松浦敏夫(鋼管)
11得点
  永富浩(三菱)
11アシスト
24 1988/89   アディウソン(ヤマハ)
11得点
  和田昌裕(松下)
9アシスト
25 1989/90   レナト(日産)
17得点
  ラモス瑠偉(読売ク)
  メシアス(本田・アシスト王のみ)
10アシスト
26 1990/91   戸塚哲也(読売ク)
  北澤豪(本田)
  レナト(日産)
10得点
  ラモス瑠偉(読売ク)
  ペデルッチ(東芝)
9アシスト
27 1991/92   トニーニョ(読売ク)
18得点
  ジョルジーニョ(トヨタ)
12アシスト

記録

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通算得点ランキング

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順位 選手名 所属クラブ 得点数
1 釜本邦茂 ヤンマー 202
2 碓井博行 日立製作所 85
3 松永章 82
4 カルバリオ フジタ工業→全日空横浜 77
5 ラモス瑠偉 読売クラブ 69
6 宮本輝紀 八幡製鉄/新日本製鐵 68
松浦敏夫 日本鋼管/NKK
8 戸塚哲也 読売クラブ 67
9 永井良和 古河電工 63
10 吉田弘 60
今村博治 ヤンマー
順位 選手名 所属クラブ 得点数
12 細谷一郎 三菱重工 58
13 小城得達 東洋工業 57
14 落合弘 三菱重工 56
原博実
16 阿部洋夫 ヤンマー 55
17 桑原楽之 東洋工業 53
18 柱谷幸一 日産自動車 52
19 日高憲敬 八幡製鉄/新日本製鐵 50
マリーニョ フジタ工業→日産自動車

通算アシストランキング

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順位 選手名 所属クラブ アシスト数
1 釜本邦茂 ヤンマー 79
2 永井良和 古河電工 77
3 ラモス瑠偉 読売クラブ 65
4 与那城ジョージ 58
5 吉村大志郎 ヤンマー 54
6 水沼貴史 日産自動車 52
7 今村博治 ヤンマー 50
8 戸塚哲也 読売クラブ 46
9 杉山隆一 三菱重工 45
木村和司 日産自動車
順位 選手名 所属クラブ アシスト数
11 崎谷誠一 新日本製鐵 42
12 高田一美 三菱重工 38
13 メシアス 本田技研工業 36
14 碓井博行 日立製作所 35
浅岡朝泰 日本鋼管→読売クラブ
松浦敏夫 日本鋼管/NKK
17 カルバリオ フジタ工業→全日空横浜 33
内山篤 ヤマハ発動機
19 原博実 三菱重工 32
森孝慈

通算出場ランキング

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順位 選手名 所属クラブ 出場数
1 永井良和 古河電工 272
2 落合弘 三菱重工 267
3 釜本邦茂 ヤンマー 251
4 斉藤和夫 三菱重工 248
5 戸塚哲也 読売クラブ 239
6 今村博治 ヤンマー 230
7 桑原隆 古河電工 215
加藤久 読売クラブ
9 菅野将晃 古河電工 210
ラモス瑠偉 読売クラブ
順位 選手名 所属クラブ 出場数
11 前田秀樹 古河電工 209
12 松木安太郎 読売クラブ 208
13 都並敏史 205
14 堀井美晴 ヤンマー 204
15 渡辺三男 藤和不動産/フジタ工業 201
16 藤島信雄 日本鋼管 200
碓井博行 日立製作所
18 崎谷誠一 八幡製鉄/新日本製鐵 193
松浦敏夫 日本鋼管/NKK
20 楚輪博 ヤンマー 191

歴代試合観客数

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順位 観客数 対戦カード 開催日 会場
1 60,000 日産-読売ク 1992年3月22日 国立霞ヶ丘
2 41,000 ヤマハ-日産 1989年2月26日
3 40,000 三菱-ヤンマー 1968年11月17日
古河-読売ク 1989年2月26日
5 36,000 読売ク-住金 1988年5月1日
6 35,000 三菱-ヤンマー 1969年4月6日
三菱-ヤンマー 1975年12月14日
読売ク-三菱 1989年2月26日
9 30,000 読売ク-ヤンマー 1983年11月3日
読売ク-日産 1984年9月22日
日立-読売ク 1992年3月15日 千葉総合

JSL2部

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成績

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シーズン クラブ数 優勝クラブ 準優勝クラブ JSL2部からの降格クラブ JSL2部への昇格クラブ
1 1972 10 トヨタ自工 田辺製薬 永大産業
帝人松山
2 1973 永大産業 甲府クラブ 豊田自動織機
羽衣クラブ
住友金属
茨城日立
3 1974 読売クラブ 富士通 茨城日立 本田技研工業
4 1975 田辺製薬 読売クラブ 電電近畿
大日日本電線
ヤンマークラブ
古河電工千葉
5 1976 富士通 読売クラブ 日産自動車
6 1977 読売クラブ 日産自動車 古河電工千葉 東芝堀川町
7 1978 本田技研工業 日産自動車 京都紫光クラブ ヤマハ発動機
8 1979 東芝堀川町 ヤマハ発動機 ヤンマークラブ(解散) 大協石油
9 1980 本田技研工業 富士通 大協石油 名古屋クラブ
10 1981 日本鋼管 日産自動車 名古屋クラブ 埼玉教員
11 1982 ヤマハ発動機 東芝 帝人 東邦チタニウム
12 1983 日本鋼管 住友金属 東邦チタニウム
埼玉教員
横浜トライスター(全日空横浜)
松下電器
13 1984 住友金属 全日空横浜 西濃運輸
京都府警
TDK
大阪ガス
14 1985 12 松下電器 マツダ コスモ大協(コスモ石油)
川崎製鉄水島
東邦チタニウム
NTT関西
15 1986 16 住友金属 トヨタ自動車 京都府警
TDK
NTT関東
マツダオート広島
16 1987 全日空クラブ 松下電器 西濃運輸
マツダオート広島
帝人
藤枝市役所
17 1988/89 東芝 日立製作所 NTT関西
藤枝市役所
マツダオート広島
京都紫光クラブ
18 1989/90 三菱重工 トヨタ自動車 帝人
マツダオート広島
読売ジュニオール
大塚製薬
19 1990/91 日立製作所 マツダ 大阪ガス
新日本製鐵
東京ガス
中央防犯
20 1991/92 フジタ 住友金属
JSL1部昇格クラブ
  • 1972年のJSL2部スタート時の参加クラブは以下の10クラブ
    • 読売サッカークラブ
    • 富士通サッカー部
    • 甲府クラブ
    • トヨタ自動車サッカー部
    • 豊田自動織機製作所サッカー部
    • 田辺製薬サッカー部
    • 京都紫光クラブ
    • 日本軽金属サッカー部
    • 大日本電線サッカー部
    • 電電近畿サッカー部
  • 優勝クラブ、準優勝クラブの項に補足のあるのは次のシーズンからJSL1部へ参加
  • 降格クラブは次のシーズンから地域リーグへ参加
  • 昇格クラブは次のシーズンからJSL2部へ参加
  • JSL1部からの降格チームはJSL1部リーグの表(上記)を参照
  • 第6回までは全国社会人サッカー選手権大会上位2チームとJSL2部下位2チームで入れ替え戦を行なう
  • 第7回から第12回までは全国地域リーグ決勝大会上位2チームとJSL2部下位2チームで入れ替え戦を行なう
  • 第13回、第14回は全国地域リーグ決勝大会の決勝ラウンド進出4チームがJSL2部へ自動昇格
  • 第15回からJSL1部同様の秋春シーズンへ移行
  • 第15回以降は全国地域リーグ決勝大会上位2チームが自動昇格、JSL2部下位2チームが自動降格
  • 第15回から再参加のコスモ大協はかつての大協石油。翌シーズンから社名変更によりコスモ石油へ改称
  • 第16回から再参加のNTT関西はかつての電電近畿
  • 第17回から大会名称のシーズン表記を、JSL1部同様「開幕年-閉幕年」へ変更

クラブ別優勝回数

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クラブ名 回数 優勝シーズン
読売クラブ 2 1974, 1977
本田技研工業 1978, 1980
東芝 1979, 1988/89
日本鋼管 1981, 1983
住友金属 1984, 1986
トヨタ自工 1 1972
永大産業 1973
田辺製薬 1975
富士通 1976
ヤマハ発動機 1982
松下電器 1985
全日空横浜 1987
三菱重工 1989/90
日立製作所 1990/91
フジタ 1991/92

クラブ別通算成績

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クラブ名 創設 初出場 最終 勝点 P勝 P敗 優勝 最高 最低 変遷 後継クラブ
1 富士通 1955年 1972 1991/92 18 627 370 182 0 78 3 107 581 409 172 1回 1位 10位 川崎フロンターレ
2 田辺製薬 1927年 1972 1991/92 19 622 410 175 3 88 6 138 570 461 109 1回 1位 15位  
3 住友金属 1947年 1974 1991/92 15 478 316 135 7 61 5 108 528 436 92 2回 1位 10位 鹿島アントラーズ
4 甲府クラブ 1965年 1972 1991/92 20 472 412 131 5 68 6 202 520 714 -194 - 2位 13位 ヴァンフォーレ甲府
5 東芝 1935年 1978 1988/89 11 422 230 123 5 44 4 54 391 208 183 2回 1位 7位 東芝堀川町→
東芝
北海道コンサドーレ札幌
6 トヨタ自動車 1939年 1972 1989/90 12 390 250 113 4 45 2 86 425 341 84 1回 1位 9位 トヨタ自工→
トヨタ自動車
名古屋グランパス
7 京都紫光クラブ 1922年 1972 1991/92 10 249 216 65 5 44 5 97 278 366 -88 - 3位 14位 京都サンガ
8 マツダ 1938年 1984 1990/91 5 247 126 73 0 28 0 25 229 92 137 - 2位 6位 東洋工業→
マツダ
サンフレッチェ広島
9 帝人 1960年 1973 1989/90 12 246 230 66 6 34 8 116 287 450 -163 - 5位 16位 帝人松山→
帝人
10 新日本製鐵 1950年 1982 1990/91 9 218 188 63 0 29 0 96 227 323 -96 - 4位 16位 八幡製鉄→
新日本製鐵
11 NTT関東 1969年 1987 1991/92 5 208 146 56 0 40 0 50 183 170 13 - 5位 9位 大宮アルディージャ
12 川崎製鉄 1966年 1986 1991/92 6 203 158 55 0 38 0 65 188 197 -9 - 7位 12位 川崎製鉄水島→
川崎製鉄
ヴィッセル神戸
13 読売クラブ 1969年 1972 1977 6 201 108 61 1 16 1 29 248 135 113 2回 1位 7位 東京ヴェルディ
14 本田技研工業 1971年 1975 1980 6 197 108 57 5 13 8 25 196 121 75 2回 1位 7位
14 コスモ石油 不明 1980 1991/92 7 197 184 53 0 38 0 93 199 279 -80 - 7位 11位 大協石油→
コスモ石油
16 日立製作所 1940年 1987 1990/91 3 179 86 54 0 17 0 15 166 58 108 1回 1位 4位 日立本社→
日立製作所
柏レイソル
17 日本鋼管 1932年 1980 1991/92 4 167 84 49 0 20 0 15 155 75 80 2回 1位 4位 日本鋼管→
NKK
18 東邦チタニウム 1955年 1983 1991/92 7 149 168 37 0 38 0 93 147 293 -146 - 9位 14位
19 フジタ 1968年 1990/91 1991/92 2 144 60 45 0 9 0 6 139 32 107 1回 1位 3位 藤和不動産→
フジタ
湘南ベルマーレ
20 松下電器 1980年 1984 1987 3 140 66 41 0 17 0 8 137 47 90 1回 1位 3位 ガンバ大阪
21 NTT関西 不明 1972 1988/89 7 132 132 36 0 24 0 72 167 255 -88 - 4位 15位 電電近畿→
NTT関西
21 大阪ガス 1946年 1985 1990/91 6 132 150 34 0 30 0 86 122 282 -160 - 6位 15位
23 全日空横浜 1964年 1984 1987 3 127 66 37 0 16 0 13 116 66 50 1回 1位 11位 全日空横浜→
全日空クラブ
横浜フリューゲルス
24 日産自動車 1972年 1977 1981 3 102 54 29 6 4 5 10 84 50 34 - 2位 2位 横浜F・マリノス
25 ヤンマークラブ 1972年 1976 1979 4 98 72 28 9 5 0 30 114 108 6 - 4位 6位  
26 大塚製薬 1955年 1990/91 1991/92 2 85 60 26 0 7 0 27 77 76 1 - 6位 10位 徳島ヴォルティス
27 ヤマハ発動機 1972年 1979 1982 2 76 36 22 2 5 3 4 68 30 38 1回 1位 2位 ジュビロ磐田
27 大日日本電線 不明 1972 1975 4 76 72 20 0 16 0 36 117 140 -23 - 6位 10位  
29 西濃運輸 1974年 1985 1987 3 73 62 20 0 13 0 29 54 87 -33 - 4位 15位  
30 三菱重工 1950年 1989/90 1989/90 1 70 30 22 0 4 0 4 89 25 64 1回 1位 1位 三菱重工→
三菱自動車
浦和レッズ
31 ヤンマー 1957年 1991/92 1991/92 1 65 30 20 0 5 0 5 56 17 39 - 3位 3位 セレッソ大阪
32 読売ジュニオール 1979年 1990/91 1991/92 2 59 60 16 0 11 0 33 57 93 -36 - 8位 16位  
33 東京ガス 1935年 1991/92 1991/92 1 46 30 12 0 10 0 8 30 28 2 - 7位 7位 FC東京
34 永大産業 1972年 1973 1973 1 37 18 11 0 4 0 3 51 24 27 1回 1位 1位 永大産業→
永大
35 日本軽金属 1948年 1972 1973 2 35 36 10 0 5 0 21 56 81 -25 - 6位 10位 日本軽金属→
羽衣クラブ
36 古河電工千葉 1967年 1976 1977 2 32 36 8 2 2 4 20 36 79 -43 - 9位 10位 VONDS市原
37 埼玉教員 1953年 1982 1983 2 28 36 8 0 4 0 24 28 66 -38 - 9位 10位
38 マツダオート広島 不明 1987 1989/90 2 27 50 7 0 6 0 37 46 127 -81 - 15位 16位  
38 中央防犯 1982年 1991/92 1991/92 1 27 30 7 0 6 0 17 33 52 -19 - 12位 12位 アビスパ福岡
40 京都府警 不明 1985 1986 2 25 34 7 0 4 0 23 27 89 -62 - 10位 16位
40 豊田自動織機 1946年 1972 1973 2 25 36 6 0 7 0 23 34 70 -36 - 9位 10位
42 藤枝市役所 1959年 1988/89 1988/89 1 10 20 2 0 4 0 14 11 38 -27 - 16位 16位
43 名古屋クラブ 1950年 1981 1981 1 7 18 2 0 1 0 15 16 72 -56 - 10位 10位
43 茨城日立 1923年 1974 1974 1 7 18 1 0 4 0 13 10 43 -33 - 10位 10位
45 TDK 1965年 1985 1986 2 4 34 0 0 4 0 30 25 113 -88 - 12位 15位 ブラウブリッツ秋田
  •   は現在Jリーグのクラブ
  •   は現在活動していないクラブ
  • 勝ち点は、以下のルールで算出(勝利=3、PK勝/引分/PK敗=1、敗戦=0)
  • 1977-1979の3シーズンは、90分を終えて同点の場合はPK戦を実施
  • 1985-1988/89の4シーズンは下位リーグの東西ブロックによる順位決定戦を実施していたが、この試合はカウントしていない
  • JSL1部との入替戦(1973-1983)はカウントしていない
  • 地域リーグとの入替戦(1973-1976は全国社会人サッカー選手権大会、1977-1983は全国地域リーグ決勝大会の上位クラブとの試合)はカウントしていない

表彰

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優勝チームには日本サッカーリーグ杯、総理大臣杯、日本サッカー協会杯、サー・スタンレー・ラウス杯が贈られる。

  • 優勝チーム賞(サンケイスポーツ新聞社提供)
  • フェアプレー賞
  • ゴールデンボール賞(日刊スポーツ新聞社提供)-得点王(第26回を除き1名のみ、他は得点王として別途表彰)
  • シルバーボール賞(日刊スポーツ新聞社提供)-アシスト王(第26回を除き1名のみ、他はアシスト王として別途表彰)第2回より
  • スターボール賞-第2回より第8回まで
  • 敢闘賞-第3回より第8回まで
  • 新人王(東京新聞中日新聞社東京中日スポーツ提供)-第9回より
  • ベスト・ゴールキーパー賞(ウールスポーツ/リーベルマン海外提供)-第23回より
  • 最優秀選手賞(スポーツニッポン新聞社提供)-第24回より
  • 報知・年間優秀11人賞(報知新聞社提供)-(ベスト11)第2回より
  • クリーン&エキサイティング賞(カルビー提供)-最優秀賞1名を含む優秀賞各クラブ1名(第25回より)
  • 100(200)試合出場選手-100試合ごと(272試合出場の永井良和以下17名が200試合出場)
  • 100(200)得点-100得点ごと(100得点以上の条件を満たしたのは釜本邦茂のみ、200得点表彰も受賞)
  • 優秀監督賞(アシックス提供)
  • 優秀監督奨励賞(ニッポン放送提供)-第26回より
  • 優秀審判員賞-第27回より
  • 主審30(60)試合出場-30試合ごと(85試合出場の佐野敏一以下12名が60試合出場)

入替戦

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年度 JSL下位クラブ 地域リーグ上位クラブ 備考
2番 1番 1位 2位 3位 4位以下
JSL下位 / 全社上位チーム入替
1965 ヤンマー□[注釈 2] 名古屋相互銀行○ 日本鋼管● 浦和クラブ■[注釈 2] 入替戦2
1966 名古屋相互銀行● ヤンマー○ 浦和クラブ● 日本鋼管○
1967 日本鋼管○ 豊田自動織機● 名古屋相互銀行○ トヨタ自工●
1968 日立本社○ 日本鋼管○ トヨタ自工● 浦和クラブ●
1969 日立本社○ 名古屋相互銀行○ 甲府クラブ● 浦和クラブ●
1970 日本鋼管○ 名古屋相互銀行○ トヨタ自工● 甲府クラブ●
1971 日本鋼管○ 名古屋相互銀行●[注釈 3] 藤和不動産○ 田辺製薬●[注釈 3] トヨタ自工 甲府クラブ
富士通
京都紫光クラブ
日本軽金属
読売クラブ
大日日本電線
電電近畿
豊田自動織機
JSL2部創設により昇格枠数増
年度 JSL1部下位クラブ JSL2部上位クラブ 備考
2番 1番 1位 2位
1972 トヨタ自工□ 田辺製薬□ JSL増チームのため降格なし
1973 日本鋼管○ 田辺製薬● 永大産業○ 甲府クラブ● 入替戦2
1974 永大産業○ トヨタ自工○ 読売クラブ● 富士通●
1975 日本鋼管○ トヨタ自工○ 田辺製薬● 読売クラブ●
1976 新日本製鐵○ トヨタ自工○ 富士通●[注釈 4] 読売クラブ●
1977 富士通○ トヨタ自工● 読売クラブ○ 日産自動車●
1978 富士通● 古河電工○ 本田技研工業● 日産自動車○
1979 日本鋼管● 日産自動車○ 東芝堀川町● ヤマダ発動機○
1980 ヤマハ発動機○ 日産自動車■ 本田技研工業□ 富士通●
1981 新日本製鐵● ヤマハ発動機■ 日本鋼管□ 日産自動車○
1982 本田技研工業○ 日本鋼管■ ヤマハ発動機□ 東芝●
1983 日立製作所○ マツダ■ 日本鋼管□ 住友金属●
1984 住友金属□ 全日空横浜□ JSL増チームのため降格なし
1985 住友金属■ 全日空横浜■ 松下電器□ マツダ□ 自動昇降格2
1986/87 松下電器■ 日立製作所■ 住友金属□ トヨタ自動車
1987/88 マツダ■ トヨタ自動車■ 全日空横浜□ 松下電器□
1988/89 住友金属■ 三菱重工■ 東芝□ 日立製作所□
1989/90 フジタ工業■ 日立製作所■ 三菱重工業□ トヨタ自動車□
1990/91 ヤンマーディーゼル■ NKK■ 日立製作所□ マツダ□
年度 JSL2部下位クラブ 地域リーグ上位クラブ 備考
2番 1番 1位 2位 3位 4位以下
JSL2部下位 / 全社上位チーム入替
1972 永大産業□ 帝人松山□ JSL増チームのため降格なし
1973 豊田自動織機● 羽衣クラブ● 住友金属○ 茨城日立○ 入替戦2
1974 住友金属○ 茨城日立● 本田技研工業○ ヤンマークラブ●
1975 電電近畿● 大日日本電線● ヤンマークラブ○ 古河電工千葉○
1976 京都紫光クラブ○ 古河電工千葉●[注釈 5] 日産自動車○ 大日日本電線●
JSL2部下位 / 地域CL上位チーム入替
1977 古河電工千葉● 田辺製薬○ ヤマハ発動機● 東芝堀川町○ 入替戦2
1978 トヨタ自工○ 京都紫光● ヤマハ発動機○ 東邦チタニウム●
1979 帝人○ 住友金属○ 大協石油●[注釈 6] 京都紫光クラブ●
1980 甲府クラブ○ 大協石油■ 名古屋クラブ□ 古河電工千葉● 自動昇降格1・入替戦1
1981 甲府クラブ○ 名古屋クラブ■ 埼玉教員□ 日産自動車●
1982 埼玉教員○ 帝人■ 東邦チタニウム□ 西濃運輸●
1983 東邦チタニウム● 埼玉教員■ 横浜トライスター□ 松下電器○
1984   西濃運輸□ 京都府警□ TDK□ 大阪ガス□ 自動昇格4
JSL増枠のため降格なし
1985 コスモ大協□ 川崎製鉄□ 東邦チタニウム□ NTT関西□
1986/87 TDK■ 京都府警■ NTT関東□ マツダオート広島□ 自動昇降格2
1987/88 西濃運輸■ マツダオート広島■ 帝人□ 藤枝市役所□
1988/89 NTT関西■ 藤枝市役所■ マツダオート広島□ 京都紫光クラブ□
1989/90 マツダオート広島■ 帝人■ 読売ジュニオール□ 大塚製薬□
1990/91 大阪ガス■ 新日本製鐵■ 東京ガス□ 中央防犯□
1991/92   大阪ガス□ (辞退)[注釈 7] 西濃運輸□[注釈 7]   自動昇格2
JSLから旧JFLへの改組のため降格なし
翌年全国クラブ所属
翌年地方クラブ所属
成績以外の理由による脱退・解散等

キャンペーン・ポスター

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日本リーグ20周年を記念して、それまでの感謝と新時代の到来をアピールするために博報堂が制作した。以後、その年のサッカーを象徴するまたはサッカー界へのメッセージが込められたポスターが発表された。

  • 第20回(1984)「格闘技宣言。」(モデル:釜本邦茂)
  • 第21回(1985)「見せてくれ、蹴闘。」(モデル:明石家さんま
  • 第22回(1986/87)「サラリーマンサッカーの時代は終った。」(モデル:奥寺康彦=古河)
  • 第23回(1987/88)「ことしは、牛若サッカーです。」(モデル:武田修宏=読売)
  • 第24回(1988/89)「仏の顔も、二十三回までだ。」(モデル:釜本邦茂)
  • 第25回(1989/90)「クリーン&エキサイティング」(モデル:なし=試合写真)
  • 第26回(1990/91)「ペレストライカー」(モデル:デビッド・ロイド・オースチン、ミハエル・ゴルバチョフのそっくりさん)
  • 第27回(1991/92)「ガンバレ!!ペレストライカー」(モデル:アーチー・ケッセル、ジョージ・ブッシュのそっくりさん)

放送

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主に日本教育テレビの「ビッグスポーツ」、東京12チャンネルの「サンデースポーツアワー」で、注目カードの中継を行っていた。

1974年には10試合だけフジテレビでも中継され、解説に杉山隆一、実況は岩佐徹が務めた。国立競技場での中継では来日していたペレがゲスト出演し、機嫌よく話してくれたものの、話があまりにも長く、とうとう、岩佐は恐れ多くもペレの話をBGMのように扱って実況した[27]

備考

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  • 創設当初は、日本サッカー協会(JFA)のオフィス(岸記念体育会館内)の一画を事務局として間借りする形でスタートした。当時のJFAは大学サッカー部出身の幹部が多く、国内リーグに関しては「君たちだけで考えなさい」と丸投げされたような状態だったという[8]。後に千代田区小川町に単独の事務所を確保して独立を果たす。[21]。運営スタッフは専従の事務員や常任のスタッフはそれぞれ数名程度、ほかに各クラブから出される運営委員が社業のかたわらリーグの運営業務を行っていた[21]
  • 事務局のポストは、Jリーグのチェアマンに相当する役職としてJSL総務主事があった[21]。ただし全クラブの運営委員の代表といった程度で、JFAへの出向という形をとっていた者もいれば、社業の傍らに総務主事に就いた者もいた。またJSL1部とJSL2部で別の総務主事がいた。
  • 創設クラブの内、古河、三菱重工、日立の3クラブはいずれも東京丸の内に本社を構えていたことから「丸の内御三家」と呼ばれ、意思疎通がしやすいことで、リーグの運営や日本代表の強化方針に対して後々まで強い発言力を持つに至った[28]。上述のJSL1部の歴代総務主事はすべて御三家から選ばれている。
  • JSLを発足させたのは、日本のサッカー界では若手にあたる人材であった。[4]、JSL初年度のリーグ年鑑に掲載された西村章一、長沼健、岡野俊一郎、重松良典の座談会では、他のメンバーが、全国リーグ化を認めてくれた会社の手前言葉を濁す中[4]、重松ひとりはサッカーリーグのプロ化を積極的に提言。「東洋工業を母体にプロは出来ませんよ。これははっきりしている」「大きなスポンサーがついたセミプロ的なクラブができて、日本リーグを乗っとりゃ別だよ」などと先見の明のある発言を行った[4]。セミプロ・読売クラブがリーグ優勝を果たすのがこの17年後、東洋工業を母体とするサンフレッチェ広島が立ち上がるのがさらにその8年後となる[4]。ちなみに重松はこれより先に、プロ野球広島カープの球団代表になっている[9]
  • 70年代の低迷期においては、公式発表の観客数は実数の3倍に水増しするのが、メディア記者たちも含めて暗黙の了解となっており[29]、対戦カードによってはチーム関係者を除くと観客数10人のケースもあった[17]。JSLの事務所にはいつも無料招待券が無造作に積まれていたが、出入りの業者も含めて誰も持っていかない状態だったという[29]

JSL主催のその他の公式戦

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脚注

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注釈

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  1. ^ Jリーグ百年構想クラブ。
  2. ^ a b 浦和クラブの入替戦出場辞退によりヤンマーが不戦勝。
  3. ^ a b この年の入替戦は、敗退チームは地域リーグではなくJSL2部参加となる。但し名古屋相互銀行はJSL2部に参加せずに活動休止。
  4. ^ 永大が活動休止のため繰り上げ昇格。
  5. ^ JSLから脱退クラブが出たため残留。
  6. ^ JSLから脱退クラブが出たため追加昇格。
  7. ^ a b 地域CL2位の大阪体大蹴鞠団は昇格を辞退したため、3位の西濃運輸に昇格権繰り下げ。

出典

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  1. ^ a b c d 沿革・歴史|JFA|日本サッカー協会
  2. ^ a b c d e f サッカー (PDF)」『Web Japan』外務省、1–4頁。2024年10月18日閲覧
  3. ^ a b c d 今も日本サッカーの父 - 日刊スポーツ(Internet Archive)
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m #平塚,pp46-53
  5. ^ 国吉好弘「クラマーが残した「4つの提言」。1965年の日本サッカーリーグ誕生◎J前夜を歩く第36回」『サッカーマガジンWEB』ベースボール・マガジン社、2021年8月18日。2024年10月18日閲覧
  6. ^ a b c d 国吉好弘「初代王者は高校のグラウンドがホーム【連載◎J前夜を歩く第1回】」『サッカーマガジンWEBベースボール・マガジン社、2020年1月25日。2024年10月18日閲覧
  7. ^ a b c d e f 中条一雄. “クラマー取材ノートから (37)日本リーグの錦の御旗”. 牛木素吉郎&ビバサッカー!研究会. 2024年10月18日閲覧。日本サッカー・リーグ50年(3)”. 牛木素吉郎のビバ!スポーツ時評 (2015年7月1日). 2024年10月18日閲覧。
  8. ^ a b c d e スポーツニッポン 2016年10月17日22面『我が道 岡野俊一郎』より。
  9. ^ a b 変革へ劇薬 ルーツ監督”. ニッカンスポーツ (2008年2月19日). 2012年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月23日閲覧。
  10. ^ a b c d オリンピック代表監督からワールドカップ招致まで 40年間を日本協会とともに 長沼健(下)多くの困難を乗越えて日本サッカーリーグ開幕|賀川サッカーライブラリー
  11. ^ a b c d #大住後藤,pp210-216
  12. ^ #長沼,pp34-36
  13. ^ 「『朝日新聞』(朝刊)-70年代から80年代へ話題を追って- 第13回(12月24日) ブーム裏に『企業の論理』」『宣伝会議』1980年9月臨時増刊号、宣伝会議、251–252頁。 
  14. ^ a b c 賀川浩 (1994年7月). “日本サッカーリーグの創世記をリードした東洋工業”. 賀川サッカーライブラリー. 2024年10月18日閲覧。
  15. ^ 後藤健生鹿島アントラーズvsサンフレッチェ広島が魅力的な攻防を展開 古豪同士の対決はなぜ人々の心を打つのか (4ページ目)」『web Sportiva集英社、2024年9月17日。2024年9月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月18日閲覧
  16. ^ 森谷達也「広島のサッカー1 サンフレ 蹴球熱の結晶」『読売新聞オンライン読売新聞社、2023年2月23日。2023年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月18日閲覧広島サッカーの歴史」サンフレッチェ広島、2022年。2022年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月18日閲覧
  17. ^ a b c #平塚,p-6
  18. ^ a b c d e f g h i j k “【タイムリーアップ】 沈没サッカー ギッコンバッタン人気は浮気者? ソッポ弱い全日本 日本リーグ初の赤字 若い芽は育ったが 上昇テニス 賞金3千万円(総額) 入場券も売り切れ”. デイリースポーツ (神戸新聞社): p. 11. (1975年4月9日) 
  19. ^ a b c d e #平塚,pp53-63
  20. ^ #後藤,pp176-179
  21. ^ a b c d e #平塚,pp33-40
  22. ^ a b “長沼健氏 サッカー一筋決意 会社も全日本監督もやめ コーチ制度確立に全力”. 東京タイムズ (東京タイムズ社): p. 5. (1969年2月11日) 
  23. ^ a b “<日本代表を作った男たち 長沼健>”. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社): p. 5. (2007年4月25日) 
  24. ^ 賀川浩 (1994年7月). “オリンピック代表監督からワールドカップ招致まで 40年間を日本協会とともに 長沼健(下)”. 賀川サッカーライブラリー. 2024年10月18日閲覧。六川亨「宮本会長誕生で思い出すJFA会長ヒストリー/六川亨の日本サッカーの歩み」『超ワールドサッカーコーエーテクモホールディングス、2023年12月29日。2023年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月18日閲覧
  25. ^ a b c d e f #後藤,pp240-242
  26. ^ #後藤,pp212-213
  27. ^ サッカー中継・小史~岩佐徹的アナウンス論70~12/09/02
  28. ^ 鈴木誠 (2023年9月23日). “松木安太郎が真面目にぶっちゃけた日本サッカー界「5つの派閥が牛耳る」タブー”. アサ芸+. 徳間書店. 2024年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月18日閲覧。
  29. ^ a b #平塚,pp29-33

出典(リンク)

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参考文献

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関連項目

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