「空間ベクトル」の版間の差分

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{{仮リンク|ベラヴィティス|en|Giusto Bellavitis}}、コーシー、グラスマン、メビウス、{{仮リンク|セイントベナント|en|Comte de Saint-Venant}}、{{仮リンク|マシュー・オブライエン|en|Matthew O'Brien (mathematician)}}といったハミルトン以外の何人かの数学者たちは同時期にベクトルに似た概念を開発した。グラスマンの1840年の論文「Theorie der Ebbe und Flut」(減衰と流れの理論)は空間解析の最初の体系であって、今日の体系と類似したものであり、今日の外積、内積、ベクトルの微分に相当する概念が含まれていた。グラスマンの業績は1870年代まで不当に無視され続けていた<ref name="Crowe"/>。
 
{{仮リンク|[[ピーター・テイト|en|Peter Guthrie Tait}}]]はハミルトンの後に四元数の基礎を確立した。テイトの1867年の「Elementary Treatise of Quaternions」(四元数の初等的理論)には今日の∇(ナブラ)演算子に相当する概念が含まれていた。
 
{{仮リンク|ウィリアム・クリフォード|en|William Kingdon Clifford}}は1878年に{{仮リンク|力学原論|en|Elements of Dynamic}}を出版した。ここでクリフォードは完備四元数積(complete quaternion product)から今日の二つのベクトルの外積、内積に相当する概念を抽出した。このアプローチは四次元の実在に疑念を抱いている技術者などの人々にベクトル解析を通じて三次元空間の解析を行う手段を提供したといえる。