「アッシュル・ドゥグル」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m TEN がページ「アッシュール・ドゥグル」を「アッシュル・ドゥグル」に移動しました: ノート:アッシュル参照
改名に伴う調整。
1行目:
'''アッシュル・ドゥグル'''(''Aššūr-dugul''、<sup>m</sup>''aš-šur-du-gul''、「[[アッシュル (神)|アッシュル]]神に目を向けよ{{訳語疑問点|date=2019年8月}}」)は、おそらく前18世紀のアッシリア史における混乱の時代の[[アッシリア]]王。治世は6年間であり、『[[アッシリア王名表]]』では第44代の王としてリストされている。彼は同王名表において[[皇位簒奪|簒奪者]]とされており、バビロンの家臣で外国人であると見られるアムル人(アモリ人)のムト・アシュクル(Mut-Askur)を倒した<ref name=pna>{{ cite book | title = The Prosopography of the Neo-Assyrian Empire, Volume 1, Part I: A | chapter = Aššūr-dugul | author = K. Åkerman | editor = K. Radner | publisher = The Neo-Assyrian Text Corpus Project | year = 1998 | pages = 179–180 }}</ref>。
 
== 来歴 ==
アッシュル・ドゥグルは[[シャムシ・アダド1世]]によって当初建設された王朝が崩壊したすぐ後の時期に、残された政治的空白において現地の将軍たちが勢力を争う中で権力を握った。[[アムル人]]のシャムシ・アダド1世は短命の王朝を建設したが、この王朝は現地人の激しい怒りを買っていたと思われる。この怒りは{{仮リンク|プズル・シン|en|Puzur-Sin}}が残したアラバスター製の板の碑文によって証明されている。プズル・シンはシャムシ・アダド1世の子孫である{{仮リンク|アシヌム|en|Asinum}}を退位させたアッシリアの君主であるが、それ以外のことは何も知られていない<ref>{{ cite book | title = Assyrian Royal Inscriptions | author = A. K. Grayson | publisher = Otto Harrassowitz | year = 1972 | pages = 29–30 }}</ref>。『アッシリア王名表<ref group=i>''Khorsabad Kinglist'', tablet IM 60017 (excavation nos.: DS 828, DS 32-54), ii 4–6.</ref><ref group=i>''SDAS Kinglist'', tablet IM 60484, ii 8–9.</ref>』は、アッシュル・ドゥグルを「無名の人の子、玉座の権利がない」と述べている。すなわち彼は王族ではなく、これは父系原理によれば統治者たる資格がなかったことを意味する。後世のアッシリアの君侯は父系原理に依っていた。
 
彼の在位中、「無名の人の子たち、彼らもこの時統治した」とされる他の6人の王がいた。これは王位争いと共に小さなアッシリア王国が分裂したことを示すかもしれない。あるいはニューグロッシュ(Newgrosh)が提案するように、これらの王は実際にはアッシュル・ドゥグル時代の[[リンム]](紀年官)であったもしれない。この役職は一年任期であり、各年は任期中のリンムの名前で呼ばれるという年名の制度を支えていた。そして、ニューグロッシュは後世の書記が彼らを王と混同した可能性を主張している<ref>{{ cite book | title = Chronology at the crossroads: the late bronze age in western Asia | author = Bernard Newgrosh | publisher = Matador | year = 2007 | page = 226 }}</ref>。この「無名の人の子」たちの最後の人物は新しい王朝を創設することとなる[[アダシ]]である。『アッシリア王名表』の2つのコピー以外にアッシュル・ドゥグルについての現存する記録はない。
 
『アッシリア王名表』によれば、アッシュル・ドゥグルと「無名の人の子」たちの次の王はアダシの子{{仮リンク|ベル・バニ|en|Bel-bani}}である。
 
== 記録 ==
17行目:
 
{{S-start}}
{{Succession box|title=[[アッシリア王]]|before={{仮リンク|プズル・シン|en|Puzur-Sin}}|after={{仮リンク|ベル・バニ|en|Bel-bani}}|years=前18世紀}}
{{s-end}}