「安西勝一」の版間の差分

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* [[羽生善治]]と同日に四段に昇段した(1985年12月18日[[新進棋士奨励会|奨励会]]例会にて)。
* 2004年4月より[[女流育成会]]幹事を務めた。(2009年3月末、女流育成会の廃止により退任)
* プロ入り以来、[[順位戦]]との相性が悪く、C級2組に19期在位して最終局まで昇級争いに残ったのは第50期(1991年度)のみ<ref>[[有森浩三]]と[[石川陽生]]の昇級が確定し、残り1枠が争われる状態で迎えた最終局、1敗で[[丸山忠久]]、2敗で丸山より順位が高かった[[中田功]]、安西、[[畠山鎮]]が昇級の可能性を残しており、安西は自身が勝ち、丸山、中田がいずれも負けていたらC級1組に昇級していたが、[[平藤真吾]]に敗れ脱落した。</ref>、第63期(2004年度)で[[降級点]]の累積が3点となり、規定により[[フリークラス]]に降級し、順位戦への参加資格を失った。その後10年以内の復帰は叶わず、2016年4月1日の第65期[[王座戦 (将棋)|王将戦]]一次予選で[[石井健太郎 (棋士)|石井健太郎]]にれたのを最後に現役を引退した<ref name=":0" />。
* 順位戦を除く棋戦では、コンスタントに実績を残している。第32期(1990年度)[[王位戦 (将棋)|王位戦]]では予選を勝ち上がり挑戦者決定リーグに白組で出場。3回戦終了の時点でリーグ陥落が確定していたものの、最終戦でそれまで4戦全勝だった[[郷田真隆]]<ref>郷田は翌期に史上最低段位(四段)で王位を獲得する。</ref>に勝ち、郷田のリーグ全勝を阻止し[[中田宏樹]]とのプレーオフにもつれ込ませる<ref>プレーオフは中田が勝利、挑戦者決定戦でも中田が[[小林健二_(将棋棋士)|小林健二]]に勝利して、当時の王位・[[谷川浩司]]への挑戦者となったため、安西が郷田に与えた黒星は、結果的に王位戦七番勝負の歴史に大きな影響を与えたと言える。</ref>と同時に、自身のリーグ全敗を回避した。