「アルチ (コンギラト部)」の版間の差分

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[[1227年]](丁亥)、チンギス・カンの晩年にはその地位を賞して「国舅」の号を与えられた。[[1232年]](壬辰)には河西王に封ぜられ、[[1237年]](丁酉)には更に万戸(万人隊長)の称号を授けられた。これ以後、アルチの子孫は代々「万戸」を称するようになる。それから間もなくアルチは亡くなり、[[1295年]]には済寧王に追封された<ref>『元史』巻118列伝6特薛禅伝,「歳丁亥、賜号国舅按陳那顔。壬辰、賜銀印、封河西王、以統其国族。丁酉、賜銭二十万緡、有旨『弘吉剌氏生女世以為後、生男世尚公主、毎歳四時孟月、聴読所賜旨、世世不絶』。又賜所俘獲軍民五千二百、仍授万戸以領之。按陳薨、葬官人山。元貞元年二月、追封済寧王、諡忠武。妻哈真、追封済寧王妃」</ref>。
 
== チンギス・カン家との姻戚関係 ==
チンギス・カンから「国舅」と称されたように、アルチの子孫は多くがチンギス・カン家と姻戚関係を結び、非常に多くの皇后を輩出した。特に[[クビライ]]が創始した[[大元ウルス]]ではクビライの正后がアルチの娘であったこともあり、アルチ家は姻族として別格の地位を誇った。ただし、『元史』に記されるアルチ家出身の后妃は系譜が一部省略されていることも多く、正確な系図が分からない箇所も多い<ref>例えば、「丑漢(チュカン)」なる人物は「アルチ・ノヤンの次子必哥(ビルゲ)之裔孫(有名丑漢者、按陳次子必哥之裔孫)」としか記されず、丑漢の父親の名前は全く分からない</ref>。
 
=== アルチの息子の世代 ===
* [[チグゥ|チグゥ・キュレゲン]]…アルチの息子で、チンギス・カンの娘[[アルタルカン]]を娶る。
* [[オチン|オチン・キュレゲン]]…アルチの息子で、[[トゥルイ]]の娘[[イェス・ブカ]]を娶る。
* [[ナチン|ナチン・キュレゲン]]…アルチの息子で、チンギス・カンの孫娘[[セチェゲン]]を娶る。
* [[オキ・フジン]]…アルチの娘で、[[ジョチ]]に嫁ぐ。
* [[チャブイ|チャブイ・カトン]]…アルチの娘で、[[クビライ]]に嫁ぐ。
 
=== アルチの孫の世代 ===
* [[オロチン|オロチン・キュレゲン]]…ナチンの息子で、オルジェイ、ナンギャジンを娶る。
* [[テムル (コンギラト部)|テムル・キュレゲン]]…ナチンの息子で、兄オロチンの死後にナンギャジンを[[レヴィレート|レヴィレート婚]]により娶る。
* [[マンジタイ|マンジタイ・キュレゲン]]…ナチンの息子で、兄テムルの死後にナンギャジンをレヴィレート婚により娶り、ナンギャジンの死後はチンキムの娘ナンガ・ブラを娶った。
* [[ナムブイ|ナムブイ・カトン]]…ナチンの娘で、叔母に当たるチャブイの死後にクビライに嫁ぐ。
 
=== アルチの曾孫の世代 ===
* [[シリンダリ]]…オロチンの娘で、[[テムル]](後の成宗オルジェイトゥ・カアン)に嫁ぐ。
* [[ディウバラ]]…テムルの息子で、テムル(チンキムの3男)の娘センゲ・ラギと、ダルマバラ(チンキム2男)の娘センゲ・ラギを娶る。
 
=== アルチの曾孫の世代 ===
* [[ブダシリ]]…ディウバラの娘で、[[テムル]](後の成宗オルジェイトゥ・カアン)に嫁ぐ。
* [[チュカン]]…アルチの次子ビルゲの子孫で、[[テムル]](後の成宗オルジェイトゥ・カアン)に嫁ぐ。
 
== コンギラト部デイ・セチェン家 ==
*'''[[デイ・セチェン]]'''
**'''[[アルチ・キュレゲン]]'''(Alči Küregen >阿勒赤古咧堅/ālèchìgŭliējiān,الجی كوركان/āljī kūrkān)
***'''チグゥ・キュレゲン'''({{Lang|mn|Čiγu Küregen}} >赤古古列堅/chìgŭ gŭlièjiān,جیکو كوركان/jīkū kūrkān)
****[[チグゥ#子孫|ブルガイ・カトン]]({{Lang|mn|Bulγai qatun}} >忙哥/Būlghī khātūn)
*****[[チグゥ#子孫|カイドゥ]](Qaidu >懐都/huáidōu)
*****[[チグゥ#子孫|アイ・ブケ]](Ai büke >愛不哥/àibùgē)
******[[チグゥ#子孫|濮郡王ジャンギ]](J̌anggi >昌吉/chāngjí)
******[[チグゥ#子孫|岐王トク・テムル]](Toq temür >脱脱木児/tuōtuōmùér)
***'''[[オキ・フジン|オキ・フジン・カトン]]'''(Öki füǰin qatun >اوکی فوجین خاتون/Ūkī fūjīn khātūn)
***'''[[チャブイ|昭睿順聖皇后チャブイ・カトン]]'''(Čabui qatun >察必/chábì,جابون خاتون/jābūn khātūn)
***'''[[オチン|万戸オチン・キュレゲン]]'''(Očin Küregen >斡陳/wòchén)
***'''[[ナチン|ナチン・キュレゲン]]'''(Način Küregen >納陳/nàchén,ناچین كوركان/nāchīn kūrkān)
****'''[[オロチン|万戸オロチン・キュレゲン]]'''(Oločin Küregen >斡羅陳/wòluóchén)
*****'''[[シリンダリ|貞慈静懿皇后シリンダリ・カトン]]'''(Širindari qatun >失憐答里/shīliándālǐ)
****'''[[テムル|万戸テムル・キュレゲン]]'''(Temür Küregen >帖木児/wòluóchén)
*****'''[[ディウバラ|万戸ディウバラ・キュレゲン]]'''(Diwubala Küregen >雕阿不剌/diāoābùlà)
******'''[[アリギヤシリ|アリギヤシリ・キュレゲン]]'''(Ariγiyaširi Küregen >阿裏嘉室利/ālǐjiāshìlì)
******'''[[ブダシリ|ブダシリ・カトン]]'''(Budaširi qatun >不答失裏/bùdāshīlǐ)
*****'''[[センゲ・ブラ|万戸センゲ=ブラ・キュレゲン]]'''(Sengge bura Küregen >桑哥不剌/sānggēbùlà)
****'''[[マンジタイ|万戸マンジタイ・キュレゲン]]'''(Manǰitai Küregen >蛮子台/mánzǐtái)
****'''[[ナムブイ|ナムブイ・カトン]]'''(Nambui qatun >南必/nánbì,نمبوى خاتون/namubūī khātūn)
***佚名
****[[アルチ (コンギラト部)#子孫|カタカシュ・カトン]](Qataqaš qatun >قتاقاش/qatāqāsh)
****[[アルチ (コンギラト部)#子孫|ノカ・キュレゲン]](Noqa Küregen >納合/nàhé)
***佚名
****佚名
*****チュカン(Čuqan >丑漢/chǒuhàn)
***[[アルチ (コンギラト部)#子孫|ソルカドゥ]](Sorqodu >唆児火都/suōérhuǒdōu)
****[[アルチ (コンギラト部)#子孫|アカ・キュレゲン]](Aqa Küregen >阿哈駙馬/āhā)
*****佚名
******イェスデル(Yesüder >也速達児/yěsùdáér)
***佚名
****[[アルチ (コンギラト部)#子孫|クルドゥ・テムル]](Quldu temür >渾都帖木児/húndōu tièmùér)
*****'''[[ダギ|順宗昭獻元聖皇后ダギ・カトン]]'''(Dagi feizi >答己/dājǐ,داکی فیزی/dāki fīzī)
***佚名
****[[アルチ (コンギラト部)#子孫|オルチャル]](Olučal >斡留察児/wòliúcháér)
*****'''[[バブカン|バブカン・カトン]]'''(Babuqan >八不罕/bābùhǎn)
 
== 脚注 ==