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1945年4月、'''米軍'''により占領され使用開始。
1972年5月15日、ホワイト・ビーチ港海軍施設、勝連半島陸軍地区、ホワイト・ビーチ貯油施設、嘉手納第2サイト
西原第2陸軍補助施設の約 275,000 ㎡を[[海上自衛隊]][[沖縄基地隊]]に引き継ぐ。
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|[[西原陸軍補助施設]]
|西原 |
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| rowspan="5" |48
| rowspan="5" |[[ホワイト・ビーチ地区]]
|西原
|<small>ホーク基地 B表: 陸自 [[勝連分屯地]]</small>
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== ホワイトビーチと核 ==
=== メースB
[[ファイル:CGM-13B_Mace.jpg|サムネイル|298x298ピクセル|[[国立アメリカ空軍博物館]]に展示されている CGM-13B は、1971年まで実際に沖縄に配備されていたもの。]]
沖縄のメースB配備は1962年10月から始まった<ref>{{Cite web|title=沖繩の「核ぬき返還」に関する質問主意書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/a068013.htm|website=www.shugiin.go.jp|accessdate=2021-01-30}}</ref>。のメースB配備ホワイトビーチのかつての「嘉手納第2サイト」区域は米空軍[[嘉手納飛行場|嘉手納基地]]を拠点とする[[第5空軍 (アメリカ軍)|第5空軍]]第498戦術ミサイル群 (498th Tactical Missile Group) の管理下にあり、ここもメースB基地になっていた。
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1976年12月31日、ホワイト・ビーチ地区内の'''嘉手納第2サイト'''メースB基地 (221,000 ㎡) を返還。
=== ナイキ
沖縄における地対空ミサイル、[[ナイキミサイル|ナイキ・ハーキュリーズ]]の配備のための基地の建設は1958年11月に始まった。8カ所のナイキサイトが建設されたが、そのうちの一つがホワイトビーチ地区の[[西原陸軍補助施設]]である。
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|陸自 [[勝連分屯地]]に移管
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