「遼陽等処行中書省」の版間の差分

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==地理==
現在の[[遼寧省]][[吉林省]][[黒竜江省]]及び[[黒竜江]]流域、[[ウスリー河]]以東の[[日本海]]沿岸地域、更には[[朝鮮半島]]北部に設置されていた[[東寧府]][[双城総管府]]及び[[耽羅軍民総管府]]を管轄していた。
 
==歴史==
元朝成立直後は[[金 (王朝)|金朝]]の行政機構を沿襲、北京府等の路都元帥府を設置し、[[満洲]]地区の鎮圧及び民政事務を行っていた。[[クビライ]]が即位すると[[宣撫司]][[宣慰司]][[行省]]等を設置し、軍事機構と民政機構を分離した。[[1269年]]([[至元 (元世祖)|至元]]6年)に'''東京行省'''を設置、まもなく省会が[[北京市|北京]]に移されたことで'''北京行省'''と改称され、これが'''遼陽行省'''の前身となる。北京行省は[[1278年]](至元15年)に'''北京宣慰司'''に改編された。
 
[[ナヤンの乱]]が発生し、満洲地区に対する防衛の必要性が高まった[[1286年]](至元23年)、北京宣慰司の[[イレグ・サカル]](亦力撒合)の建議により'''東京行省'''が設置され、反乱平定後の[[1287年]](至元24年)に'''遼陽行省'''と設置され元末まで使用された。
 
金朝の府州県を基礎に設置された遼陽行省であるが、属県の数は人口減少に関連し大幅に減少している。また州県制以外に、狩猟民族への統治のため万戸制が維持された特徴を有した。