「ノート:マスケット (1867年生まれの競走馬)」の版間の差分

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→‎生産者について。: グラスゴー卿はまず間違いないでしょう。ピールは
→‎生産者について。: 報告と御礼。
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:::Throughbred Heritageの執筆者Patricia Erigero(アメリカ人)は、General Peelを「Lord Peel」と表記していますよね。Jonathan Peelは男爵以上の爵位を受けてはいないようなので、Lordの英和辞典の第一義的な用法からすると、Jonathan Peelを「Lord Peel」と表記するのは間違いなのかも(正直私はよくわからない)。
:::めんどうなことに、5代グラスゴー卿の所有馬で[https://www.pedigreequery.com/general+peel General Peel]という名競走馬([[2000ギニー]]勝ち馬)・名種牡馬がいまして、さらにJonathan Peelの所有の二冠馬Archibaldがいて、Jonathanの後を継いだ息子がArchbald PeelでGlassgowの牝馬はArchbald Peelが受け継いでいて、これらが検索の邪魔をするんです(笑)--[[利用者:㭍月例祭|柒月例祭]]([[利用者‐会話:㭍月例祭|会話]]) 2021年9月24日 (金) 18:57 (UTC)
:::: 第5代グラスゴー伯爵へのリンクの追加を行いました。
:::: さらなる追加情報ありがとうございます。爵位を帯びたことがない Jonathan Peel を“Lord Peel”と呼ぶのはおかしいはずですが、状況的にErigero氏が誤記したと判断するのが妥当でしょうね。[[アーサー・ピール (初代ピール子爵)|初代ピール子爵の記事]]・[[:s:en:1911 Encyclopædia Britannica/Peel, Arthur Wellesley Peel, 1st Viscount|ブリタニカ百科事典11版の項目]]・[https://archive.org/details/completepeerage00cokagoog/page/n255/mode/2up The Complete Peerage 初版第8巻の項目]で Arthur Wellesley Peel が軍人になった旨や馬主をしていた旨の記載はありませんし、また彼がピール子爵になったのは1895年でありグラスゴー卿が死去した1869年当時は彼もまだ Lord Peel と呼ばれてはいなかったので比定するにはやや弱いです。なお [https://archive.org/details/completepeerage06cokahrish/page/n195/mode/2up The Complete Peerage 初版第6巻 (N-R)] では PEEBLES の次は PELHAM になっており、19世紀末時点で PEEL という爵位は(8巻の補遺に収録されている1895年創設の Viscount Peel を除いて)存在しないと思われます。―[[利用者:霧木諒二|霧木諒二]]([[利用者‐会話:霧木諒二|会話]]) 2021年9月25日 (土) 06:55 (UTC)
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