「デヴィッド・フィンチャー」の版間の差分

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[[1992年]]、『[[エイリアン3]]』で映画監督デビュー。撮影中からさまざまなトラブルに見舞われ、完成した作品もスタジオ側に再編集されていることから、本人は自作として認めていない<ref>{{Cite web|url=http://www.webdice.jp/dice/detail/5981/|title=完璧主義フィンチャーがハリウッド黄金時代を蘇らせる『Mank/マンク』デジタル・パンフレット|accessdate=2020年11月20日|publisher=UPLINK}}</ref>。また、長編デビュー作での失敗により意気消沈し、1年半の間に送られてきた脚本は全く読まなかった。
 
[[1995年]]、[[ブラッド・ピット]]、[[モーガン・フリーマン]]を主演に起用し、自身としては監督復帰作となった[[サスペンス映画]]『[[セブン (映画)|セブン]]』を発表。衝撃的なストーリーと際立った演出高く評価された上に興行的、批評的に成功したことにより、一躍注目されるようになる。その後、[[1999年]]には再びピットを起用した『[[ファイト・クラブ]]』を発表。当時は酷評されて興行的にも失敗したものの、後年には高い評価を獲得する。
 
『[[ベンジャミン・バトン 数奇な人生]]』『[[ソーシャル・ネットワーク (映画)|ソーシャル・ネットワーク]]』『[[Mank/マンク]]』で3度アカデミー監督賞にノミネートされた。