「俺ら東京さ行ぐだ」の版間の差分

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[[File:Goshogawara city center area Aerial photograph.1975.jpg|thumb|270px|1975年頃の五所川原市中心市街地。「車もそれほど走っていない」のは'50~'60年代とされる。「俺らの村には電気が無い」実態としては、東北の山間部では1950年代まで未電化(無点灯地区)である事が珍しくなく<ref>[https://www.jacom.or.jp/column/2018/12/181213-36907.php 【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第32回 戦後も残った照明の地域格差|昔の農村・今の世の中|コラム|JAcom] - [[農業協同組合新聞]]、2018年12月13日。</ref>、岩手県では既存集落では1962年まで[[葛巻町]]、[[戦後開拓|開拓部落]]では1988年まで[[川井村 (岩手県)|川井村タイマグラ地区]]が無点灯地区として残り続けていた実例がある<ref>[https://www.jacom.or.jp/column/2018/12/181227-37034.php 【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第34回 日本で一番最後に電灯がついた村は?(1)|昔の農村・今の世の中|コラム|JAcom] - 農業協同組合新聞、2018年12月18日。</ref>。<br />{{国土航空写真}}]]
; 賛否両論の大反響
: 吉幾三本人が後日語ったところによると、歌詞の「[[テレビ]]も[[ラジオ]]も[[電話]]も[[ガス]]も[[電気]]も無い」など自虐的な部分が、発売当初は出身地である[[青森県]][[北津軽郡]][[金木町]](現:[[五所川原市]])から「うちはそんなに[[田舎]]じゃない」と猛[[抗議]]を受けたという。また、日本中の小さな農村から「ふざけるな!!」「私たちの[[村]]を[[馬鹿]]にしてるのか!?」と凄い数の[[クレーム]]が押し寄せてきたとも語っている。一方で、曲の全国的大ヒットを喜ぶ人も金木町に多くいたことから、賛否両論を巻き起こした曲ともいえよう
: しかし、彼自身の幼少期である1960~70年代においては、本当に歌詞の内容と近いものだったという<ref name="asahi20081129" />。
; レーザーディスクの宣伝