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山城屋は陸軍省から更に金を借り出し、フランスの商人と直接取引をしようとフランスに渡った。そのうちに一人の日本人がフランスで豪遊しているという情報が、フランス駐在中弁務使[[鮫島尚信]]やイギリス駐在大弁務使[[寺島宗則]]の耳に入り、日本本国の外務省・[[副島種臣]]外務卿へ連絡された。
 
このころ[[山縣有朋]]は、[[近衛都督]]として[[近衛 (日本軍)|近衛兵]]を統括する立場にもあった。また、[[大村益次郎]][[1869年]](明治2年)に暗殺されていたこともあり、太政官における陸軍卿のポストが不在状態になっていた当時の陸軍省では、現在の次官に相当する陸軍大輔である山縣がトップであり、山城屋との関係を疑われる素地もあった{{Sfn|伊藤之雄|2009|p=100}}。
 
山城屋の一件を聞いた陸軍省会計監督・[[種田政明]]が、密かに調査を始めて「一品の抵当もなしに」{{sfn|井上清|1966|p=292}}多額の陸軍省公金が貸し付けられていたことが発覚、[[桐野利秋]]ら[[薩摩藩|薩摩]]系陸軍人の激しく追及するところとなる{{Sfn|伊藤之雄|2009|p=99-100}}。