「CHAGE and ASKA」の版間の差分

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ChageとASKAの出会いは高校時代からであり、ASKAが高校2年生の時に父親の仕事の関係で札幌から福岡へ転校したことがきっかけである<ref name="c&a2000">[[月刊カドカワ|別冊カドカワ]] 完全保存版430ページ CHAGE&ASKA『大事なものは変わっていく』(2000年) [[角川書店]] p1-430</ref>{{rp|112}}<ref name="c&adeai">[https://nikkan-spa.jp/1600760 CHAGE and ASKAの40年を振り返る――出会いからASKA脱退まで] 日刊SPA! 2019年9月1日配信, 2021年10月14日閲覧。</ref>。2人が会話をしたのは高校3年生の時で、Chageが学園祭のために組んだバンドで練習をしていところ、隣の教室から、バンド演奏にも勝るようなASKAの大きい歌声が聞こえてきたという。当時、高校内ではASKAは剣道の腕前が優れていることで有名であったため、ChageはASKAに「お前、剣道じゃなかったのか」と声をかけたという<ref name="c&adeai"/>。
 
2人とも[[日本経済大学|第一経済大学]](現:日本経済大学)へ入学し、在学中にASKAはChageに[[ヤマハ音楽振興会|ヤマハ]]『第15回[[ヤマハポピュラーソングコンテスト]](通称:ポプコン)』への出場を声をかけ、別々で出場した。同コンテスト福岡大会でChageがグランプリを獲得し、ASKAが最優秀歌唱賞となった。九州大会へ進む際に、ヤマハの九州地区担当ディレクター・秋吉恵介の勧めにより初めてChageとASKAによるデュオが組まれた<ref>[http://www.asagei.com/excerpt/20220 “日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第6回>チャゲ&飛鳥(1)] - アサ芸プラス、2014年2月12日</ref><ref name="c&adeai"/>。その後、7人編成のバンド'''チャゲと飛鳥'''として活動を始め、1978年10月開催の『第16回ポプコン』の直前に'''チャゲ&飛鳥'''となり、「[[流恋情歌]]」で念願の『つま恋本選会』に出場し入賞する<ref name="popcon16">[http://www.yamaha-mf.or.jp/history/e-history/popcon/pop16.html 第16回ポピュラーソングコンテスト] ヤマハ音楽振興会</ref><ref name="c&a2000"/>{{rp|373}}。
 
1979年5月開催の『第17回ポプコン』には「[[ひとり咲き]]」で『つま恋本選会』に出場するが、またしてもグランプリ獲得にはならず入賞となった<ref name="popcon17">[http://www.yamaha-mf.or.jp/history/e-history/popcon/pop17.html 第17回ポピュラーソングコンテスト] ヤマハ音楽振興会</ref><ref name="c&a2000"/>{{rp|373}}。しかしデビューの話は進行していき、7人編成のバンドとしてではなくChageとASKAのみでデビューという方向で話が進んでいった。これで7人編成のバンドは解散となり、『第18回ポプコン』九州大会のゲスト出演という形で7人編成最後のステージを行った。このライブでは、それまで未完成だった楽曲「歌いつづける」をバンドを去る5人への餞の曲として完成して披露した<ref name="c&a2000"/>{{rp|114}}。