「高井戸インターチェンジ」の版間の差分
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[[ファイル:高井戸IC航空写真1989.jpg|thumb|right|航空写真。{{国土航空写真}}]]
'''高井戸インターチェンジ'''(たかいどインターチェンジ)は、[[東京都]][[杉並区]]にある[[中央自動車道]](中央道)の[[インターチェンジ]] (IC) である。
本項では、高井戸インターチェンジに隣接する、[[首都高速道路]][[首都高速4号新宿線|4号新宿線]]のインターチェンジ(出入口)である'''高井戸出入口'''(たかいどでいりぐち
== 概要 ==
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本線への入り口については、建設当初より設置計画があり、烏山シェルターの手前に入口用の用地は確保されている。本来であれば[[東名高速道路]][[東京インターチェンジ|東京IC]]([[世田谷区]])や[[関越自動車道]][[練馬インターチェンジ|練馬IC]]([[練馬区]])同様、中央道の東京側玄関口となる事が想定されていたが、[[高井戸]]・[[久我山]]などの[[杉並区]]住民が「中央道への入口が設置されると、道路が[[渋滞|混雑]]して[[環境]]が悪化する」として、激しい反対運動を展開した結果、中央道開通以来、入口建設に至っていない。実際、杉並区においては特に[[1970年代]]から[[1980年代]]にかけて、[[長谷川英憲|都政を革新する会]]を中心として、高井戸IC建設に反対する運動が起こった<ref>[http://www.tokakushin.org/flyer/fly07/fly070225.htm 70年代-80年代にかけて、外環道計画や高井戸インター開設、高円寺北口再開発問題など、杉並の住民闘争を全力で闘ってきました] 元都議会議員・長谷川英憲 都政を革新する会、平成24年1月2日閲覧</ref>。
こうした反対運動を受ける形で、[[1976年]](昭和51年)4月に、当時の[[日本道路公団]]・[[東京都]]・杉並区、高井戸IC予定地そばにある
一方で、高井戸ICに下り線入口が設置されていないことについては、かねて運輸業界の[[運転手]]などから『不便』との声が挙がっており、[[東京商工会議所]][[世田谷区|世田谷]]支部からも「経済損失は大きく、大規模災害時の対応にも支障がある」として、建設の要望書が出されている<ref name="nikkei2013"/>。また、杉並区が区として建設の要望書を提出しているほか、後年杉並区が行った[[アンケート|アンケート調査]]では、高井戸ICに中央道方面への入口が設置されていないことの不便や、中央道方面への入口設置を求める回答が、杉並区民自身から多く示されている<ref>[http://www2.city.suginami.tokyo.jp/library/file/15net_kmnchosa01.pdf 平成15年度 第1回 杉並区民インターネットアンケート『青梅街道インターチェンジについて』] 平成15年5月 杉並区区長室区政相談課</ref>。
こうした中、[[2011年]](平成23年)に、東京都が中央自動車道の北側に[[高井戸公園]]の整備を決めた際に、公園用地に隣接する[[杉並区立富士見丘中学校]]と統合して[[小中一貫校]]を設置し、小学校も公園用地の一角(旧[[王子製紙]]富士見ヶ丘グランド)に移転する計画が持ち上がり<ref>{{PDFlink|[https://www.city.suginami.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/007/757/fujimioka_matome.pdf 富士見丘小学校教育環境懇談会まとめ]}} - 杉並区</ref>、これにより5者協議が前進し、下り線入口(オンランプ)建設に動き出すのではないかとの観測がある<ref name="nikkei2013"/>。
新たに設置される下り線入口の設置場所としては、[[東京都道311号環状八号線|環八通り]]中ノ橋交差点の西側すぐと、さらに西側に進んだ現杉並区立富士見丘小学校前とする2案が想定されている<ref name="nikkei2013"/>。事業者である[[中日本高速道路]](NEXCO中日本)は[[日本高速道路保有・債務返済機構]]との協定において、[[2020年]]度までに下り線入口の開設工事を完了するとの計画を明らかにしている<ref name="nikkei2013"/>が、NEXCO中日本からは建設計画に関する明言がなく、今後とも住民との合意形成が着工の前提となっている。
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