「本居宣長」の版間の差分

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'''本居 宣長'''(もとおり のりなが、[[享保]]15年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]([[1730年]][[6月21日]]) - [[享和]]元年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]]([[1801年]][[12月1日|11月5日]]))は、[[江戸時代]]の[[国学]]者・[[文献学]]者・[[言語学]]者・[[医師]]。名は栄貞。本姓は[[平氏]]。[[仮名 (通称)|通称]]は、はじめ弥四郎、のち健蔵。[[号 (称号)|号]]は芝蘭、瞬庵、春庵。自宅の{{読み仮名|鈴屋|すずのや}}<ref>大久保正 「本居宣長」 {{Harv|日本古典文学大辞典編集委員会編|1986|p=1815}}</ref>にて門人を集め[[講義]]をしたことから{{読み仮名|'''鈴屋大人'''|すずのやのうし}}と呼ばれた。また、[[荷田春満]]、[[賀茂真淵]]、[[平田篤胤]]とともに「{{読み仮名|'''国学の四大人'''|しうし}}」の一人とされる<ref>{{cite web|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%9B%BD%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%9B%9B%E5%A4%A7%E4%BA%BA/|title=国学の四大人(こくがくのしたいじん)の意味|publisher=goo国語辞書|accessdate=2020-07-22}}</ref>。[[伊勢国|伊勢]][[松阪市|松坂]]の[[豪商]]・小津家の出身である。
 
== 概要 ==
[[契沖]]の文献考証と師・賀茂真淵の[[古道]]説を継承し<ref group="注">師・真淵との関係では「後によき考への出できたらんには、必ずしも師の説にたがふとて、なはばかりそ」と言い、師の教えを仰ぎながらも良いと適ったことは遠慮なく主張したという。</ref>、国学の発展に多大な貢献をしたことで知られる<ref name="yougo">{{Cite book|和書|author=日本史用語研究会|authorlink=|title=必携日本史用語|origdate=2009-2-2|accessdate=|edition=四訂版|publisher=[[実教出版]]|series=|isbn=9784407316599}}</ref>。宣長は、真淵の励ましを受けて『[[古事記]]』の研究に取り組み、約35年を費やして当時の『古事記』研究の集大成である注釈書『[[古事記伝]]』を著した<ref name="yougo" />。『古事記伝』の成果は、当時の人々に衝撃的に受け入れられ、一般には正史である『日本書紀』を講読する際の副読本としての位置づけであった『古事記』が、独自の価値を持った史書としての評価を獲得していく契機となった。