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チン・テムルの出自については2通りの説が伝わっており、[[ジュヴァイニー]]はカラ・キタイの出身とするのに対して、『集史』はオングト部の出身とする<ref>志茂2013,813頁</ref>。
 
[[チンギス・カン]]の中央アジア遠征時には[[ジョチ]]率いる部隊に所属し、[[1220年]]には[[ジャンド]]市に降伏勧告を行う使者となり、その後ホラズムの[[ダルガチ]]に任ぜられて[[ウルゲンチ]](元ホラズム・シャー朝の首都)に駐屯していた<ref>本田1991,105頁</ref>。
 
=== イラン への出向 ===