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:::::: [[ノート:札幌市立啓明中学校#「3K2F」について]]にて、特段、反対のご意見がございませんでしたので、3K2Fの記載について削りました。--[[利用者:てんつき|てんつき]] 2010年9月13日 (月) 08:55 (UTC)
 
== 校名の由来 ==
 
(A) 開校50周年記念誌『暢びやかに 柏の半世紀』(1997年)24頁では、『柏友』第1号(1954年度)からの引用で次の3つを校名の由来として挙げています。([https://www16.sapporo-c.ed.jp/kashiwa-j/home/index/shoukai/koukakoumeikoushou 公式サイト]にもほぼ同じ内容が掲載されていますが、引用時のミスタイプか、細かな違いがあります。)
 
(A-1)札幌に初めて四つの新制中学をおく際に、初代校長安延先生が、柏は樹も大きく重々しく、がっしりしている、つまり重厚の風があるところから本校の名ときめられた。
 
(A-2)同校の主な通学区域であるところの山鼻公園に安延先生が手植の立派な柏の木があるので、有志の方々が柏を望まれたため。
 
(A-3)わが国で有名であった、東京第一高等学校の校章が柏なのでこれにあやかり、生徒の向学心を起こさせたかったこと。
 
しかし、この記述には次のような問題点があり、そのまま引用するのが躊躇されます。
 
* 昭和22年5月15日、札幌市内で開校した新制中学校は、市立校だけでも9校(北辰、柏、一条、第一、第二、第三、第四、第五、第六)あります<ref>[https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/0110005100/0110005100100100/s825/?pagecode=12 『新札幌市史 第8巻2』313頁]</ref>(その他に私立や国立もあります)から、「札幌に初めて四つの新制中学をおく際に」といってもどの四つを指しているのかわかりません。
 
* 「同校の主な通学区域であるところの山鼻公園」というと、まるで山鼻公園が通学区域の大半を占めるかのようですが、これはおそらく「同校の通学区域にある山鼻公園」と言いたかったのでしょうか。
 
* 「安延先生が手植の立派な柏の木」というのは、その存在が確認できません。山鼻公園には、大正天皇が皇太子時代に日本松、昭和天皇が皇太子時代にオンコを植樹した記録があります<ref>{{Cite news|title=山鼻公園へ 御手植と牛六頭を台覧|newspaper=北海タイムス|date=1922-7-14}}</ref>が、立派であったという「お声掛かりの柏」は屯田兵が入植する前からあった木です。しかし、これを「お手植えの柏」と書いた書物<ref>中島九郎『札幌九十年 物的篇・人物篇』61頁、さっぽろ文庫58『札幌の通り』51頁</ref>もあることから、相当に誤伝が流布していたように見受けられます。それがさらに誤伝して、安延先生が植えたことになったものとも考えられます。
 
* 「東京第一高等学校」というのは「東京」が余計で、正しくは「第一高等学校」です。
 
(B)これに対し、開校30周年記念誌『柏三十年の歩み』(1977年)1頁の菅原茂・学校長のあいさつでは、校名・校章の由来について次のように述べられています。
 
「本校の開校は昭和二十二年五月十五日であります。新制中学校の一つとして現在地に誕生いたしました。初代の校長先生は、当時一中の校長先生をしておられました安延三樹太先生であります。先生は、かつての一高、東大出身の開明的な、大変素晴らしい先生と聞いております。 先生は本校の校名を柏中学校と名付けました。当時は連合軍の占領下で、総てのものがアメリカ一色におし流されていくのを心配なさって、'''新しい日本を担う若人は柏の木のようにたくましく、かつ、重厚であってほしい'''と考え柏の名をつけられたのであります。また校章も柏の葉で、安延先生の母校である'''第一高等学校の校章を原型として'''作られています。」
 
(C)また、『暢びやかに 柏の半世紀』16-17頁には当時の札幌市長と札幌市教育委員会委員長の祝辞として、次のような発言(両者ほぼ同内容)が載っています。
 
(C-1)桂信雄・札幌市長の祝辞
 
「柏中学校の『柏』には、'''風雪に耐え、堂々と葉を茂らせる柏の木のように、生徒一人一人が気高く風格のある人間になることを目指してほしい'''との願いが込められていると伺っております。」
 
(C-2)千葉瑞穂・札幌市教育委員会教育長の祝辞
 
「校名の『柏』は、'''風雪に耐え、堂々と葉を茂らせる柏の木のように、気高く風格のある人間を目指してほしい'''との願いを込めて、初代の校長が命名されたと伺っております。」
 
これらを比較すると、(A-1)、(B)、(C)にある校名の由来はそれぞれ少しずつ違いますが、理想とする生徒像を柏の木になぞらえたという点で似通っています。また、(A-3)に登場する第一高等学校は、(B)にあるように安延校長の母校であり、このことは昔の新聞記事で確認できます<ref>{{Cite news|title=新任札一中校長安延氏略歴|newspaper=北海タイムス|date=1942-8-11}}</ref>。他方、(A-2)は記念誌掲載の校長、市長、教育長の文では触れられていません。なぜ触れられなかったのでしょうか。「安延先生手植えの柏」を「お声掛かりの柏」と読み替えれば実在する木のことになりますが、そのような読み替えは、かえって誤情報を生み出す結果になる恐れがあります。そもそも、新制中学が設置された昭和22年頃は、天皇崇拝が否定された時代です。現に、山鼻小学校では、昭和3年の開校50周年時に「お声掛かりの柏」の葉をデザインした校章を作りましたが、昭和23年に現校章(藻岩山・雪の結晶・ペンを組み合わせたデザイン)に改めています<ref>山鼻小学校100周年記念誌『やまはな』189頁</ref>。また、同校では大正4年に制定した校歌の歌詞の天皇礼賛的な部分(4番と5番)を戦後に削除しました。他の学校でも校歌に関しては戦後に同様の改定が行われた所が多くあります。こうしたことから、(A-2)の「安延先生手植えの柏」を明治天皇ゆかりの「お声掛かりの柏」と読み替えたところで、時代背景を考えると疑問が残ります。校長、市長、教育長がこの話に触れていないのは、おそらくそのためではないでしょうか。いずれにしても、「お声掛かりの柏」が校名の由来だというのは、[[利用者:Tetsu5670|Tetsu5670]]さんの解釈であって、学校側の公式見解ではありません。--[[利用者:C2BK|C2BK]]([[利用者‐会話:C2BK|会話]]) 2021年12月6日 (月) 06:49 (UTC)
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