「安珍・清姫伝説」の版間の差分

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m {{sfnp|馬淵|国東|稲垣|1971}}→{{sfnp|馬淵|国東|今野|1971}}
注釈(『安珍清姫略物語』13歳)→‎道成寺縁起: 清次の"娵(よめ・むすめ)"に対して"妻"とも"子供の妻"=義理の娘とも解説がある →‎賢学草紙・日高川草紙: 賢学こと日高川の草紙[草子/双紙]。旧酒井家系統vs.根系統があり,和歌山県立所蔵本(山沢与平)は酒井本系統の19世紀末摸本."宗教色が希薄で.."(ウェブ引用)は、"伝説"でなく"『道成寺縁起』"に対してこの賢学草紙・日高川草紙グループ総じてが当てはまる
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=== 安珍・清姫のなれそめ ===
[[醍醐天皇]]の御代、[[延長 (日本)|延長]]6年([[928年]])夏の頃{{Refn|この具体的な時代設定は室町期「道成寺縁起」絵巻以降にみえるが{{sfnp|浜下|1998|pp=131-132}}、道成寺の絵解き台本のうち昭和四年作成「千年祭本」では「今よ り一千年の昔し人皇六拾代醍醐天皇御代」という文句になっている<ref>{{harvp|林|1981|p=44}}; {{harvp|林|1984|p=28}}</ref>。}}<ref name=sanseido/>{{sfnp|志村|2007b|p=148}}。[[陸奥国|奥州]]白河(現[[福島県]][[白河市]])より安珍という僧が熊野に参詣に来た{{Refn|group="注"|千年祭本では"見目うるはしき山伏の安珍"({{harvp|林|1981|p=44}})}}。この僧は大変な美形であった。[[紀伊国]][[牟婁郡]](現在の和歌山県[[田辺市]][[中辺路]]、[[熊野街道]]沿い)[[熊野八庄司|真砂(まなご、まさご)の庄司]]清治/清次の娘、清姫{{Refn|group="注"|年齢は文献に拠って13歳, 16歳など様々。『'''安珍清姫略物語'''』([[文政|文政]]年間の刊行)で「わらはもはや今年十三歳に及べり」とあるが{{sfnp|三田村|1911|p=286}}{{sfnp|徳田|1997|p=210}}、徳田の解説によれば"現行の絵解きでは清姫の年齢には触れないが、二種の絵解き台本には「此の姫十三の時、又僧の参られまして」(『道成寺縁起絵とき手文』)、「清治と申す人の姫で、時に年拾三歳で御座いました」 (千年祭本『道成寺縁起絵とき』)"<ref name=tokuda>{{harvp|徳田|1986|p=200}}; {{harvp|徳田|1997|p=209}}</ref>。酒井家旧蔵本『賢学草子』等では「姫君十六になり侍るに」とあり{{sfnp|河原木|鷹谷|張|明道|2015|p=59}}、その写本である『道成寺絵詞』でも当然16歳である{{sfnp|三田村|1911|p=283}}。"[[常磐津]]"だと清姫は「十六七な、白歯の振袖の女の娘」{{sfnp|三田村|1911|p=272}}。
}}、宿を借りた安珍を見て一目惚れし、女だてらに[[夜這い]]をかけて迫る。安珍は僧の身ゆえに当惑し、必ず帰りには立ち寄ると口約束だけをしてそのまま去っていった<ref name=nipponica/>。
 
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[[後小松天皇]]の[[宸筆]]により書きしたためられたもので絵は伝・[[土佐光重]]筆だが、現代の検証では16世紀前半ないし15世紀後半の成立と推察される<ref name=oohashi2017/><ref name=kanagawa_u/>。
 
『道成寺縁起』では、主人公の女は{{読み仮名|真砂|まさご/まなご}}の清次の「{{読み仮名|{{linktext|娵}}」(|よめ}}」で、これは「妻」とも{{sfnp|小峰|1985|p=20|ps=<!--女は清次庄司の妻とされる-->}}「子供の妻」である嫁(義理の娘)とも解釈されるが<ref name=tanabe/>{{sfnp|Waters|1997|p=75|ps=: "daughter-in-law"}}<ref name=misumi/>{{Refn|group="注"|だが「娵」の正しい読みは、「よめ」であるにかかわらず、道成寺では「むすめ」と訓じて来た経歴がある<ref name=tanaka_i1929/>。原文にはその家の女房(仕える女)ともみえる{{sfnp|浜下|1998|p=131}}。}}{{Refn|group="注"|三田村鳶魚のこれは『紀伊国名所図会』<ref name=kiinokunimeishozue/>にある梗概についての考察であるが、清次の「嫁」について、息子の妻としているのはあきらかで、おそらく亭主のいない寡婦なのだろうと説く{{sfnp|三田村|1911|p=283}}。}}、その相手は奥州出身の美男子な僧(「見目能僧」)と記される{{Refn|「紀伊國室)の郡(むろのこほり)」の「眞砂と云所」の宿の「亭主清次庄司と申人の娵」<ref name=dojojiengi-text/>}}<ref>『続日本の絵巻24 [[桑実寺]]縁起 [[道成寺]]縁起』([[小松茂美]]編、[[中央公論社]])に詳しく紹介されている。</ref>{{sfnp|安田|1989|p=3}}{{sfnp|徳田|1997|pp=204, 207}}{{sfnp|浜下|1998|p=131}}。女は僧に「かくて渡らせたまえ」(しばらくいらしてください)と迫るが、これは夫になってくれとの口説きだと解釈される。後日、再会を約束したはずの僧はとうに通り過ぎて行った知って出立した女房は、[[切目王子]]の社を過ぎた上野という場所{{Refn|group="注"|旧・[[名田村]]大字上野(現今の[[御坊市]]名田町上野)<ref name=kineya/>。}}で追いつき呼びかけたが、僧は頭巾、負[[厨子]]、念珠などをかなぐり捨てて逃げたので、女は上体蛇と化し火を吹いて追いかけた。僧は[[塩屋村 (和歌山県)|塩屋]]を過ぎ、[[日高川]]を船で渡って逃げたが、女は衣を脱ぎ捨て全身蛇体となって泳ぎわたる<ref>(以上、絵巻の上巻){{harvp|田中|1979|p=19}}; {{harvp|浜下|1998|p=131}}にほぼ同文で転載</ref>。以上の部分も、残りの部分も{{efn2|絵巻の上巻・下巻のそれぞれ内容}}、上述の安珍清姫伝説と比べて大きな違いえは無い。僧は道成寺に駆け込んでかくまわれ、鐘の中に隠されるが、女房の大蛇は尾で堂の戸を壊し、鐘の{{読み仮名|竜頭|りゅうず}}を{{読み仮名|銜|くわ}}えては鐘に巻きつき尾でこれを打ち鳴らすと火焔がまきおこった。「3[[刻|時]]あまり」(6時間余?{{Refn|林雅彦の論文では"三時(六時間)余り"と注釈するが{{harvp|林|2005|p=114}}、浜下論文では"3時間ばかり"、和歌山県立博物館ニュースの訳では「一時間半ほど」<ref name=dojojiengi-text/>。『大日本法華験記』の原文では「兩三時計」(二、三どきばかり)尾で竜頭を叩いていた<ref name=hokke_genki/>となっているが[[三田村鳶魚]]はこれを「半日ばかり」と釈義している<!--「兩三日(りゃうさんにち)」は「二三日(にさんにち)」であるとしている-->{{sfnp|三田村|1911|pp=274-275}}。『今昔物語集』}})経ってやっと大蛇は「両眼より血の涙を流し」離れていったが、鐘を消火してみると骸骨だけの炭のような遺体がみつかった(以下略)<ref>(以上、絵巻の下巻){{harvp|田中|1979|p=19}}; {{harvp|浜下|1998|pp=131-132}}にほぼ同文で転載</ref>。
 
=== 賢学草紙・日高川草紙 ===
異本である酒井家旧蔵『賢学草子絵巻』(伝・[[土佐広周]]筆<ref>[[#kogabiko|古画備考 巻33]] 土佐家・土佐廣周「道成寺縁起二巻」の段、[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2591618/32 23頁b面]</ref><ref name=bunka-db-ekotoba/>{{Refn|group="注"|「'''道成寺絵詞'''」(天保12年)はその写本<ref name=bunka-db-ekotoba/><ref name=oohashi2021/><!--大橋はこの転写本のほうを"土佐広周画本"と読んでいるのでまぎらわしい-->。}})では、「姫君」と「{{読み仮名|賢学|けんがく}}」とあり、関連本である武蔵野大学本もまた然りである{{sfnp|河原木|鷹谷|張|明道|2015|pp=58-63}}。この両本は本文において様々な相違がみられるが、ともに「古寺」とあり「道成寺」と明記されない、にもかかわらず、酒井家旧蔵本には「右、道成寺之絵一巻者..」との加証識語が加えられている{{efn2|ただし酒井家旧蔵本(やその多くの写本)は前欠(冒頭分が欠損する)である。}}{{sfnp|河原木|鷹谷|張|明道|2015|pp=58-61}}<ref name=oohashi2021/>。この摸本/{{読み仮名|粉本|ふんぽん}}として和歌山県立博物館蔵『日高川草紙』」があり<re name=bunka/>、山沢与平(1886年没)の筆とされる{{sfnp|河原木|鷹谷|張|明道|2015|p=68}}
 
「道成寺縁起」の異本にはまた[[根津美術館]]蔵の『賢学草子』(または「日高川草紙」と称す)があり、[[遠江国]][[新居宿|橋本宿]]の長者の娘「花ひめ(花姫)」と、三井寺の若き僧「けんかく(賢学)」となっている{{sfnp|安田|1989|p=3}}<ref name=kobayashi/>。賢学は花姫と結ばれる運命を知りこれが修行の妨げとなることを恐れ、幼い花姫を亡き者にしようと胸を刺して逃げる。その後賢学は一目惚れした娘と結ばれるが彼女の胸の傷から成長した花姫その人であると気付き彼女を捨てて熊野へ向かう。花姫は彼を追い、ついに蛇となって日高川を越えて追いすがる。とある寺に逃げこんだ賢学は鐘の中に匿われるが、蛇と化した花姫は鐘にとぐろを巻いてそれを湯のごとく溶かし、賢学を掴みだしたのち、川底へと消えていった。その後弟子たちが二人を供養したという{{sfnp|勝田|1982|p=28}}<ref name=kobayashi/>。安珍清姫伝説

『賢学草子』(別名『日高川草紙』)の諸本(酒井家旧蔵本系統・根津美術館本系統のいずれも含む)は、『道成寺縁起』に比べると"宗教色が希薄で「御伽草子」的要素が強い"である<refre name=bunka>[https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/100889|title= 日高川草紙 ひだかがわそうし 和歌山県立博物館所蔵]文化遺産オンライン</ref>。
 
=== 安珍・清姫の名の嚆矢===
これらのいずれにおいても安珍・清姫の名はまだ見られず、安珍の名の初出は『[[元亨釈書]]』([[1322年]])である。ただし鞍馬寺に居たことになっており{{sfnp|三田村|1911|p=276}}<ref name=shimura/>{{Refn|『元亨釈書』巻一九「釈安珍」{{sfnp|徳田|1997|p=207}}。}}<ref name=genko_shakusho/>、後の奥州白川の僧という設定と異なっている。また、出身はみちのくであるが(現・宮城県[[角田市]][[藤尾村 (宮城県)|藤尾]]<!--典拠では[[伊具郡]]藤尾だが、これは旧地名で、現今の郡内になく分立した角田市にある-->の[[住吉神社 (角田市)|東光院]]の山伏・住持)、京都の鞍馬寺で修行したと辻褄を合わせている民話が角田市界隈に伝わる{{sfnp|及川|1958|p=50}}。
 
清姫の名の初出は[[並木宗輔]]作の[[浄瑠璃]]『道成寺現在蛇鱗』([[寛保]]2/[[1742年]]初演)とされる{{sfnp|林|2005|p=113}}。浄瑠璃『道成寺現在蛇鱗』([[宝暦]]9/[[1759年]])にも清姫の名はみえる{{sfnp|三田村|1911|p=183}}。なお、清姫の名は、その父親の名とされる庄司の清次からとられていると目される{{sfnp|黒沢|1972|p=249|ps=<!--: "清姫とはおそらく『道成寺縁起』の荘司清次にヒントを得て作られた名前であろう。"-->}}{{sfnp|三田村|1911|p=183283}}{{Refn|group="注"|父親の名が清次だという根拠は不詳だが、一説では道成寺の能の原作者とも目される[[観阿弥]](秦清次)と符合する、との[[三田村鳶魚]]の考察がある{{sfnp|三田村|1911|p=183283}}。(観阿弥(1384年没)について、三田村は、結城治部秦清次の死没を応永十三年(1406年)五月十五日との記載を是とし、道成寺の能の原作者と断定する{{sfnp|三田村|1911|p=176}}。よって「まなごの庄司」という名を登場させたのは秦清次が初めてである{{sfnp|三田村|1911|p=280}}(すなわち「道成寺縁起」絵巻より前)と説いている。ただ、観阿弥ではなく後の世代([[世阿弥]]、[[観世小次郎信光]])の作であると諸説あるので<ref name=kurosawa/>、そうなると時代がずれて三田村の考察も狂ってくる。}}。
 
=== 伝承内容の相違 ===
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* 和歌山県みなべ町の常福寺の盆踊りに「安珍・清姫伝説」を題材にした盆踊りが行われている。
* 安珍の生地とされる白河市根田では、安珍の命日とされる3月27日に、墓(後年、村人が供養のために建てたもの)の前で安珍念仏踊り(福島県無形民俗文化財)が奉納されている。
*吹田に伝わる民話に、太左衛門という男が新田で草刈り中に誤って大蛇の首を落としてしまった後、首だけの大蛇に祟られて最期は鐘に隠れたところを焼き殺されるという、道成寺伝説によく似た結末の民話がある<ref>{{citation|和書|url=https://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/youkai/190114/20190114028.html |last=亀井 |first=澄夫 |author-link=<!--亀井澄夫--> |title=亀井澄夫の妖怪不思議千一夜: 吹田市南吹田および西の庄町 |newspaper=[[大阪日日新聞]] |date=2019年1月14日 }}
</ref>。
*映画『[[安珍と清姫 (映画)|安珍と清姫]]』(1960年)監督:[[島耕二]] 出演:[[市川雷蔵 (8代目)|市川雷蔵]] [[若尾文子]] 製作:[[大映]]
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<ref name=kineya>{{citation|和書|last=杵屋 |first=栄蔵 |authorlink=杵屋栄蔵#三代目 |title=長唄のうたひ方 続 |publisher=創元社 |date=1932 |url=https://books.google.com/books?id=qlUmAAAAMAAJ&q=名田村|page=44}}</ref>
 
<ref name=kiinokunimeishozue>{{citation|和書|last=加納 |first=諸平 |authorlink=加納諸平 |others=神野易興 |chapter=道成寺の条 |title=紀伊國名所圖會 |publisher=平井五牸堂 |volume=後編(五之巻) |date=|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563503/39 |pages=}}</ref>
 
<ref name=kobayashi>{{citation|和書|last=小林 |first=健二 |authorlink=小林健二 (国文学者) |title=物語の視界50選(その一)その限りない魅力を探る 賢学草子 |journal=国文学 : 解釈と鑑賞 |volume=46 |number=11<!--通巻597 物語の視界--古典に躍る創意の群れ--> |date=1981-11 |url=https://books.google.com/books?id=j38RAQAAMAAJ |pages=74-75 }}</ref>
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<ref name=kurosawa>{{citation|和書|last=黒沢 |first=幸三|author-link=<!--黒沢幸三--> |title=道成寺説話の考察 |journal=古代文化 |publisher=古代學協會 |volume=24 |number=9 |issue=46 |date=1972 |url=https://books.google.com/books?id=ZElDAQAAIAAJ&q=鐘巻+観阿弥 |page=247<!--241–252-->}}; {{citation|和書|last=黒沢 |first=幸三|author-link=<!--黒沢幸三--> |author-mask=2 |title=日本古代の伝承文学の研究 |publisher=塙書房 |year=1976 |url=https://books.google.com/books?id=2qsFAAAAMAAJ&q=鐘巻+観阿弥 |page=345}}</ref>
 
<ref name=misumi>{{citation|和書|last=三隅 |first=治雄 |author-link=三隅治雄 |title=芸能史の民俗的研究 |publisher=東京堂出版 |date=1976 |url=https://books.google.com/books?id=aLoxAAAAMAAJ&q=清次 |page= |quote=牟婁郡真砂里清次庄司の娘(ヨメかムスメか? )}}</ref>
 
<ref name=nipponica> {{citation|和書|last=松井 |first=俊諭 |authorlink=松井俊諭 |title=安珍清姫 |work=日本大百科全書(ニッポニカ) |publisher=小学館 |date=1994 |url=https://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E7%8F%8D%E6%B8%85%E5%A7%AB-429511}}@コトバンク</ref>
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<ref name=shimura>{{citation|和書|last=志村 |first=有弘 |authorlink=志村有弘|title=異形の伝説: 伝承文学考 |publisher=国書刊行会 |date=1989 |url=https://books.google.com/books?id=-5T70lppZzEC&q=道成寺 |pages=14-15 }}</ref>
 
<ref name=tanabe>{{citation|和書|last=田邉 |first=秀雄 |authorlink=田辺秀雄 |chapter=長唄「京鹿子娘道成寺」綱館の段 杵屋六佐衛門、杵屋六一朗 |title=日本の音 声の音楽 |volume=2 |publisher=音楽之友社 |date=1988 |url=https://books.google.com/books?id=j-IwAAAAMAAJ&q=清次庄司 |pages=<!--unpaginated-->|series=邦楽百科入門シリーズカセットブックⅡ}}</ref>
 
<ref name=tanaka_i1929>{{citation|和書|last=田中 |first=一松 |authorlink=田中一松<!--Tanaka, Ichimatsu--> |chapter=道成寺緣起 |title=日本繪卷物集成 |publisher=雄山閣 |date=1929 |url=https://books.google.com/books?id=jfrQAAAAMAAJ&q=道成寺縁起 |pages=39ff }}; [https://books.google.com/books?id=7TdX04hMxbUC&q= 『田中一松絵画史論集』(上)]所収。</ref>
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* {{citation|和書|last=安田 |first=徳子 |authorlink=<!--安田徳子--> |title=道成寺伝説から『京鹿子娘道成寺』へ |journal=聖徳学園岐阜教育大学国語国文学 |number=8 |date=1989-03-15 |url=http://id.nii.ac.jp/1550/00001752/ |pages=1-12 }}
 
* {{cite journal|last= Waters |first=Virginia Skord |author-link=<!--Virginia Skord Waters--> |title=Sex, Lies, and the Illustrated Scroll: The Dōjōji Engi Emaki |journal=Monumenta Nipponica |volume=52 |number=1 |date=Spring 1997 |pages=59–84 |doi= 10.2307/2385487|jstor=2385487 }}
{{refend}}