「イドリースィー」の版間の差分
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平凡社 世界大百科事典/コトバンクを典拠に追加とし、タブラ・ロゲリアナでなく『ルッジェーロの書』"世界横断を望む者の慰みの書"の確認表記をつかう。また、前者を著者、後者を王がつけたという確認は平凡社にもYamagataブログにもとれないので削除 |
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彼は「イドリースィー」というクンヤ(出身名)が示す通り、[[マグリブ]]の地方政権であった[[イドリース朝]]([[789年]] - [[985年]])の末裔のひとりで、すなわち[[預言者]][[ムハンマド]]の子孫であるためアル=シャリーフ・アル=イドリースィー al-Sharīf al-Idrīsī とも呼ばれる(イドリース朝は[[正統カリフ]]・[[アリー・イブン・アビー=ターリブ|アリー]]とムハンマドの娘[[ファーティマ]]との息子[[ハサン・イブン・アリー|ハサン]]の曾孫であるイドリースを始祖とする。またシャリーフとは[[サイイド]]と同じく預言者ムハンマドの子孫を指す尊称のひとつ)。
イドリースィーがアジア・アフリカ・ヨーロッパ域を網羅する初めて正確な世界地図『lawh al-tarsim』(「線描画の板」の意)を描いたのは、1154年、ルッジェーロ2世の宮廷で18年間に渡って作成した図解と説明を纏めたものだった。
『
1161年には過去の地図を拡充した『 كتاب الجامع لأشتات النبات Kitāb al-Jāmi'-li-Ashtāt al-Nabāt』<ref name="al" /> や『Rawḍ al-uns wa nuzhat al-nafs』(「The Gardens of Humanity and the Amusement of the Soul」、「人間性の庭と魂の楽園」の意)を作成した。本書は[[医薬]]を作る原料となる草木や[[鉱物]]が入手できるの場所を列記するなど[[イスラム教]]社会が持つ科学的知識を数多く反映していた<ref name="al" />が、これは写しを含めて全て失われている。既にイドリースィー本人は亡くなっていたと思われる、1192年にはこれの簡略版『Garden of Joys』(ただし通常は『Little Idrisi』と呼ばれる)が出版された。
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==出典==
;脚注
{{Reflist
<ref name=heibonsha_sekai_daihyakka>{{cite web|和書|author= |authorlink=<!--no byline--> |title=イドリーシー |work=平凡社 世界大百科事典 |edition=2 |date=1998 |url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC-31760 |access-date=2022-1-2}}。および[https://kotobank.jp/dictionary/sekaidaihyakka/ 《ルッジェーロの書》の言及]@コトバンク。</ref>
}}
;参照文献
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