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==設立==
1908年から1912年にかけて、[[無線]]技術者の技術組織を形成しようとする試みがいくつあった。その中に、Society of Wireless Telegraph Engineers(SWTE)とthe Wireless Institute(TWI)があった。1912年、SWTEとTWIが合併して[[ニューヨーク]]で無線学会(IRE)が設立された。既に[[電気工学]]の学会として[[アメリカ電気学会]](AIEE)があったが、IREの創設者たちは、AIEEは保守的すぎて、電力分野に焦点を絞り過ぎていると考えていた。また、創設者たちは、AIEEのような「アメリカの」学会ではなく国際的な学会とすることを目指し、役員の一部を米国外から選出するという方針を採用した。
 
20世紀前半に[[無線通信]]は大きな発展を遂げ、IREには無線システムの開発者・運用者のための成長する専門家コミュニティとして、標準化、調査、そして、新しい成果を実務家や研究者の間に権威付けをもって普及させるという役割が求められるようになった。この要求を満たすために、IREは各種の専門誌を創刊した。その中で最も注目すべきは、1913年に創刊され、{{仮リンク|アルフレッド・ノートン・ゴールドスミス|en|Alfred Norton Goldsmith}}が41年間編集を続けた"''Proceedings of the IRE''"(現 "''{{仮リンク|Proceedings of the IEEE|en|Proceedings of the IEEE}}''")である。また、周波数スペクトル、変調技術、試験方法、無線機器の標準化と規制のあらゆる側面に積極的に参加した。そして、会員間の協力と交流のために、地域グループ(1914年開始)と専門家グループ(1948年開始)を組織した。IREは、{{仮リンク|連邦無線委員会|en|Federal Radio Commission}}(1927年設立、現 [[連邦通信委員会]])の計画において主要な役割を務め、規格の制定に関して[[アメリカ電機工業会]]、無線製造者協会([[電子工業会]]の前身)、ラジオ・テレビ製造者協会、[[NTSC|全米テレビジョンシステム委員会]]と密接に協力して活動した。IREは、1914年にIREフェローの会員資格を制定し、専門家としての認知度を高めるプログラムを開始した。最初のフェローは、[[無線電信]]のパイオニアである{{仮リンク|ヨーナタン・ツェネック|en|Jonathan Zenneck}}(1871-1959)だった。