アイム・アローン (I'm Alone) は、かつてアメリカ合衆国禁酒法時代に、ラム・ランナー(rum runner:酒類密輸船)として使用されていたカナダ船籍の船。この補助艦艇スクーナーは、1923年ノバスコシア州で建造され、6年間にわたって禁制品英語版だったアルコールの密輸に従事していた[1]。別の資料では、この船はイギリスで建造されたものとなっている[2]。この船の船籍は、ノバスコシア州ルーネンバーグに置かれていた[3]。アイム・アローンは、1929年3月22日英領ホンジュラスで酒類を積み込んだ帰途に、ルイジアナ州沖のメキシコ湾合衆国沿岸警備隊のウォルコット (USCGC Wolcott) に捕捉された。アイム・アローンの乗員たちは、停船命令に従わなかったため、デクスター (USCGC Dexter) から砲撃を受けて沈没した。8人の乗組員のうち、7人は救助された。残るひとりのフランス系カナダ人甲板長英語版レオン・メンギー (Leon Mainguy) が死亡した[4]。船長ジョン・"ジャック"・ランデル (John "Jack" Randell) をはじめとして、生き残った乗員たちは逮捕され、ニューオーリンズで投獄された[2]

船の沈没は、カナダとアメリカ合衆国の関係に緊張をもたらし、使節としてカナダから派遣されたヴィンセント・マッシー英語版は、アメリカ合衆国側の行動を非難した。カナダ政府は、損害賠償を求めた。これに対し、エリザベス・フリードマン英語版が指揮した合衆国沿岸警備隊の情報部員たちは、国際仲裁英語版の場で、アイム・アローンがカナダ船籍であったものの所有者たちはアメリカ人であったことを明らかにした。結果的に、合衆国は罰金を支払ったものの、その額は当初カナダが要求したものよりはるかに少額であった[1]。ランデル船長と死亡した船員の妻アマンダ・メンギー (Amanda Mainguy) には、賠償金 (restitution) が支払われた[2]

脚注 編集

  1. ^ a b Hagen, Carrie (28 January 2015). “The Coast Guard’s Most Potent Weapon During Prohibition? Codebreaker Elizebeth Friedman”. Smithsonian. http://www.smithsonianmag.com/history/coast-guards-most-potent-weapon-during-prohibition-codebreaker-elizebeth-friedman-180954066/ 2015年2月21日閲覧。. 
  2. ^ a b c Bell, Jessica. “1929 – The S.S. I’m Alone”. Canadian Geographic (Royal Canadian Geographical Society). オリジナルの2015年2月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150221184323/http://www.canadiangeographic.ca/magazine/ja10/timeline/ss-alone.html 2015年2月20日閲覧。. 
  3. ^ Skoglund, Nancy Galey (1968). “The I'm Alone Case: A Tale from the Days of Prohibition”. University of Rochester Library Bulletin (University of Rochester) 23 (3). http://www.lib.rochester.edu/index.cfm?PAGE=1004 2015年2月20日閲覧。. 
  4. ^ "Sinking of the I'm Alone". The Times (英語). No. 45161. London. 26 March 1929. col C, p. 16.

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関連文献 編集