ジョージ・アルノルド・エッセル

オランダの土木技術者

ゲオルギ・アルノルド・エッセルオランダ語: George Arnold Escher1843年5月10日 - 1939年6月14日)は、オランダ土木技術者。または、エスヘルエッシャーエッシェルとも呼ぶ。明治期にお雇い外国人として来日した。

ゲオルギ・アルノルド・エッセル
生誕 1843年5月10日
オランダの旗 オランダ レーワルデン
死没 (1939-06-14) 1939年6月14日(96歳没)
オランダの旗 オランダ アーネム
教育 ロイヤル・アカデミー
配偶者 Charlotte Marie de Hartitzsch (1882 - 1885)
Sara Gleichman (1892 - )
子供 ベレンド・ジョージ・エッシャー英語版
マウリッツ・エッシャー
業績
専門分野 土木工学
設計 エッセル堤

息子に画家のマウリッツ・エッシャーがいる。

生涯 編集

フリースラント州レーワルデン出身。1873年明治6年)にヨハニス・デ・レーケらとオランダから来日。淀川(大阪府)の修復工事や坂井港(三国港、福井県)のエッセル堤、龍翔小学校(現:みくに龍翔館)の設計、指導を行った。1878年(明治11年)離日。母国に戻りエリート官僚の道を進んだという。

関連項目 編集

外部リンク 編集