チクラーナ・デ・ラ・フロンテーラ

スペインの都市

チクラーナ・デ・ラ・フロンテーラChiclana de la Frontera)は、スペインアンダルシア州カディス県ムニシピオ(基礎自治体)。

Chiclana de la Frontera

 アンダルシーア州
 カディス県
面積 205.45 km² [1]
標高 11m
人口 78,591 人 (2010年[1]
人口密度 382.53 人/km²
住民呼称 chiclanero/-a
守護聖人 San Juan Bautista、
Nuestra Señora de los Remedios
Chiclana de la Fronteraの位置(スペイン内)
Chiclana de la Frontera
Chiclana de la Frontera
スペイン内チクラーナ・デ・ラ・フロンテーラの位置
Chiclana de la Fronteraの位置(カディス県内)
Chiclana de la Frontera
Chiclana de la Frontera
カディス県内チクラーナ・デ・ラ・フロンテーラの位置

北緯36度25分00秒 西経6度09分00秒 / 北緯36.41667度 西経6.15000度 / 36.41667; -6.15000座標: 北緯36度25分00秒 西経6度09分00秒 / 北緯36.41667度 西経6.15000度 / 36.41667; -6.15000

北東部にはヘリ湖などからなる内陸流域湿地群のチクラーナ内流域複合体スペイン語版があり、2009年にラムサール条約登録地となった[2]

歴史 編集

チクラーナの歴史は旧石器時代にさかのぼると、一部の歴史家は主張する。チクラーナの沖合いにあるサンクティ・ペトリ島は、フェニキア人が建てたガデイラのヘラクレイオン神殿があった場所でないかとされている。市内からは、フェニキア人定住地があったことを示す出土品が発掘されている。1930年、この小島を訪れた作曲家マヌエル・デ・ファリャは、インスピレーションを受けて『アトランティーダ』を作曲している。

町が最初に歴史上に現れるのはカスティーリャフェルナンド4世時代の1303年、チクラーナの村落内にあった島をアロンソ・ペレス・デ・グスマン(メディナ=シドニア公家の先祖)へ授けた記録上である。

18世紀には、カディス湾内の都市がそうであったように、対アメリカ大陸貿易、対アフリカ大陸貿易で潤った。この時代の富を象徴するのは、当時の貴族や郷紳の建てた邸宅郡である。

スペイン独立戦争中の1811年3月5日、チクラーナの戦いが起き、スペイン=イギリス連合軍がフランス軍を退けた。19世紀、町はワイン貿易で成長し人口が拡大、1876年にはアルフォンソ12世によって都市の地位を与えられた。

人口 編集

チクラーナ・デ・ラ・フロンテーラの人口推移 1900-2011
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[3]、1996年 - [4]

姉妹都市 編集

脚注 編集

外部リンク 編集