ヤン・エキエルポーランド語: Jan Stanisław Ekier1913年8月29日 - 2014年8月15日)は、ポーランドピアニスト、教育者、作曲家フレデリック・ショパンの研究家として知られる。

ヤン・エキエル
白鷲勲章を受章したヤン・エキエル(2010年10月21日
基本情報
生誕 (1913-08-29) 1913年8月29日
出身地 ポーランドの旗 ポーランドクラクフ
死没 (2014-08-15) 2014年8月15日(100歳没)
学歴 ワルシャワ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト、教育者、作曲家
担当楽器 ピアノ

経歴 編集

クラクフ生まれ。妹のハリーナ・エキエル1915年-1962年)もピアニストだった。

ヤギェウォ大学で音楽学を学んだ後、ワルシャワ音楽院ズビグニェフ・ジェヴィエツキピアノ、そしてカジミェシュ・シコルスキ作曲を師事する。その後、ブロニスワフ・ルトコフスキオルガンを師事する。

1937年ショパン国際ピアノコンクール第8位を獲得[1]

1944年にはワルシャワ蜂起に参加。1947年にはグダニスクスタニスワフ・モニューシコ音楽院の設立に参加し、翌年まで学長を務めた。1962年から1969年までクラクフ音楽アカデミーの教授を務めた[2]

1964年から1972年、そして1974年以降、ワルシャワ国立高等音楽学校のピアノ科教授となり、ブロニスワヴァ・カヴァラ、ピオトル・パレチニ、アリツィア・パレタ=ブガイ、河合優子などを育て [3][4][5][6][7][8]、世界各国でもマスタークラスを受け持つ。1959年からショパン・ナショナル・エディション財団によるショパン全集「ナショナル・エディション」の編集主幹となり、補遺作品集を除いて2010年に完結させる。1949年よりショパン国際ピアノコンクール審査員となり、1985年より審査員長を務める。1964年および1974年ポーランド文化大臣賞一等賞を受賞。1995年よりショパン音楽アカデミー名誉博士。2000年8月17日ポーランド復興勲章星付きコマンドルスキ十字勲章 (二等)を受章し、2010年10月21日に民間人としては最高位の白鷲勲章を受章した。

2013年8月29日に100歳の誕生日を迎えた[9]

2014年8月15日ワルシャワ市内の病院で死去[10]

エキエル版ナショナル・エディション 編集

2021年現在は全音楽譜出版社が日本語版の販売を行っている[11]。この版は公式にショパン国際ピアノコンクールで採用されている。

脚注 編集

外部リンク 編集