朝歌(ちょうか)は、中国古代におけるの首都である。現在の河南省淇県にある。殷墟河南省安陽市)の南に位置する[1]

(商)を滅ぼした周の武王の弟、康叔封が封ぜられ、衛を樹てた。反乱を起こし二分された殷の遺民の一部を治める目的もあった。

黄河淇水の中間に位置し、中原の中心部の豊饒な土地であった為、春秋戦国時代には係争の的となった。などが代わる代わる領有したが、最終的にはに攻め取られた。

代には河内郡朝歌県が、代には朝歌郡が置かれ、代には淇州、代には今の淇県と改名された。

脚注 編集

  1. ^ 朝歌をの晩期の首都とする文献もある。