秋田 延季(あきた のぶすえ)は、陸奥国三春藩の第5代藩主。秋田家第7代当主。第4代藩主・秋田頼季の長男。

 
秋田延季
時代 江戸時代中期
生誕 享保6年(1721年
(公式上は享保3年(1718年))
死没 安永2年7月6日1773年8月23日
改名 治季(初名)→延季→太季
別名 民部(通称)
戒名 天稟院殿令徳永顕大居士
墓所 福島県田村郡三春町荒町の高乾院
官位 従五位下、河内守
幕府 江戸幕府
陸奥三春藩
氏族 秋田氏
父母 父:秋田頼季 母:市川氏 
兄弟 延季定季、利喜姫(本多助盈正室)
倩季(次男)、季高(三男)、安東季保(四男)、岩瀬氏紀(五男)、季周(六男)、細川昌元(七男)、娘(京極高中正室)、娘(永井直視正室、のち井戸弘雄室)
養子:定季
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生母は父頼季の側室だった市川氏である。後に父頼季の正室の秋田氏の養子となる。享保19年(1734年)2月28日、将軍徳川吉宗にお目見えする。享保20年12月16日、従五位下河内守に叙任する。寛保3年(1743年)7月22日、父頼季の死により跡を継ぐ。寛延3年(1750年)7月22日、弟の定季を養子に迎える。宝暦元年(1751年)9月23日、隠居し、養子定季に家督を譲った。安永2年(1773年)に死去。公式上での享年は56。

系譜 編集

父母

子女

養子